砂糖がヨーロッパに入ってからカリブ海で生産されるまで

砂糖は、インドで製糖されるようになり、イスラム教徒によってヨーロッパに伝えられました。地中海の島で砂糖きびが栽培され製糖されていました。イスラム教徒から砂糖きび栽培と製糖技術を引き継いだヨーロッパのキリスト教徒は、大西洋の島々から、新世界に生産地を求めていきました。

砂糖

ニューギニア原産といわれるサトウキビが、インドで製糖されるようになり、それがどのように広がって行ったのか。

たとえば、キューバは砂糖生産で有名です。サトウキビは熱帯に近い方が生産に向いているのは間違いないです。

私は、ヨーロッパに砂糖が入ったのは、ひょっとして大航海時代に中南米あたりから持ち帰られたのかと何となく思っていました。

ところが、砂糖は、実際はもっと早くからヨーロッパに入っていて、地中海で砂糖きびが栽培されていたのです。大航海時代は、砂糖生産のための場所を探しに砂糖きびの苗を持っていたのです。

これは私のように世界史に弱い人のための記事です。

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砂糖は昔、薬だった

砂糖の歴史 (「食」の図書館)を読みました。

ギリシア人やローマ人は早くからインドを訪れていたので、砂糖の存在は知っていた。

アレキサンダー大王に仕えた武将ネアルコスは、紀元前327年にインダス川の河口からペルシア湾のユーフラテス川河口まで航海し、その著作『インディカ(インド誌)』で「インドのアシはミツバチの助けがなくてもハチミツをつくりだす。その植物は実をつけないが、蜜からはうっとりするような飲みものがつくられる」と伝えている。

ローマ時代には、地中海沿岸地域にわずかながら砂糖が入ってきている。輸入された砂糖は医療用として使われた。

砂糖はエネルギー源。食べたり飲んだりすれば、すぐにエネルギーに変わります。貴重品だった砂糖は、まず医療用として使われました。

さらに続きます。

イスラム教徒がサトウキビ栽培と製糖を広めた

サトウキビは熱帯に近い場所でなければ栽培できないのかと思っていました。しかし、7世紀から8世紀にかけて、地中海でサトウキビ栽培と製糖が行われるようになりました。

西暦600年にはメソポタミアでサトウキビが栽培されるようになり、その後すぐに商業生産が始まった。(中略)

641年にはアラブ人がメソポタミアを征服し、サトウキビと製糖法はアラブ人の手によってナイル川やそのデルタ地帯、地中海沿岸東部、東アフリカへと西に向かって広がった。

サトウキビはそこからさらに地中海の島々――キプロス島、マルタ島、クレタ島、シチリア島、ロードス島――に伝わり、やがて北アフリカでも広く栽培されるようになり、682年には南モロッコにまで達している。

その後、スペイン南部やイタリア南部、トルコの各地でも栽培されるようになった。

これだけだと「ふーんそうなんだ」で終わってしまったのですが、砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書) を読んで思い出しました。

イスラム教徒がでてくるのです。

砂糖の生産がヨーロッパやその他の地域ににひろく伝播(でんぱ)したのは、イスラム教徒の手によってでした。「砂糖はコーランとともに」西へ西へと旅をしたのです。

七世紀はじめにアラビア半島で生まれたイスラム教は、たちまち広い地域に普及しました。のちには東方ではインドやインドネシア、中国の一部にも伝えられ、西方はこんにちのトルコや北アフリカにも、ひろがりました。

イスラム教徒の進撃はそれでもやまず、八世紀はじめにはスペインをもおさえ、地中海を席巻(せっけん)してしまいます。

もしかすると、彼らはヨーロッパ全体を支配するのではないかとも思われましたが、ようやく西暦七三二年、フランク王国との戦いに敗れたため、その勢いが止まりました。

それにしても、古代ローマ人が「われらの海」と称し、さかんな貿易を展開していた地中海は、八世紀には、その北岸以外の三方をイスラム教徒におさえられてしまったのです。

こうして西方にひろがったイスラム教徒の支配した地域には、砂糖きびの栽培と製糖の技術が、つぎつぎと伝えられていきました。

なかでも、キプロス、ロドス、クレタ、マルタ、シチリアなど、いまのトルコからイタリアにかけての地中海東部の島々で、その栽培がさかんになりました。

また、モロッコなどの北アフリカやスペインにも、その栽培が導入されたものと思われます。

イスラム教徒と書いてあったので、思い出したのです。そうだ、そういえばイスラム帝国というのがあったな。

イスラム帝国

ウイキペディアにイスラム帝国という記事があり、このように書かれていました。

イスラム帝国は、イスラム教(イスラーム)の教えに従って生まれたイスラム共同体(ウンマ)の主流派政権が形成した帝国のこと。(中略)

この用語は、イスラム帝国と呼ばれる政権自身の用いた呼び名に基づいたものではなく、現代の歴史叙述の上で便宜的に用いているものである。(出典

なるほど。イスラム帝国は正式な名称ではなく、便宜的に使っているので、砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書) にはイスラム教徒としか書かれていなかったのです。

ウイキペディアのイスラム帝国には、622年から750年までの勢力拡大地図が載せられているので、是非、見てきてください。

サトウキビ栽培はコストがかかる

サトウキビの原産地はニューギニアとありインドで製糖されるようになったと書きましたが、地中海でも栽培できました。しかし、気象条件はずいぶん違います。

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書) にはこのように書かれています。

砂糖きびの栽培には、適度の雨量と温度が必要なうえ、その栽培によって土地の肥料分が消耗して土地が荒れるため、つぎつぎと新鮮な耕地を求めて、どんどん移動していかなければならない性質もありました。

また、砂糖の歴史 (「食」の図書館)にはこのように書かれていました。

中東や地中海沿岸でのサトウキビ栽培や製糖は、インドよりも多額の投資が必要になった。

インドより西の高温で乾燥した気候でサトウキビを育てるには、大規模な灌漑システムが必要であり、為政者や大地主たちは、広い面積におよぶ灌漑施設の建設や維持、管理をしなければならなかったからである。

灌漑は、水やりの仕組み。農地に外部から人工的に水を供給することのことです。地中海式気候は雨が少ないことで知られています。

さらに製糖には多くの人手が必要でした。

奴隷制度

砂糖きびの栽培とその加工、つまり製糖は、重労働であるばかりか、あとでみるように、近代的な工場と同じように規則正しい集団労働を必要としましたから、これらの土地でも、すでに奴隷または奴隷に近い、強制的に働かされた人びとがいたものと思われます。

奴隷制度というと、アメリカの綿花栽培の労働者を思い出しますが、それ以前、製糖で必要としていました。

十字軍運動からヨーロッパのキリスト教徒が砂糖について知るようになった

砂糖の歴史 (「食」の図書館)にはこのように書かれていました。ヨーロッパのキリスト教徒がイスラム教徒から砂糖きび栽培や製糖法を吸収していきます。

11世紀末に始まる十字軍遠征によって、ヨーロッパの人々はイスラム教徒からクレタ島やシチリア島などの地中海沿岸の土地を奪還すると同時に、サトウキビの栽培法や製糖法を吸収していった。

この遠征でヨーロッパの人々はエルサレムを奪取し、1099~1187年のあいだ支配した。この地域の製糖は大きな利益が出る商売であり、チレ(現在のレバノン)が重要な砂糖交易都市だった。(中略)

中東を訪れて砂糖の存在を知った兵士や巡礼者たちが祖国に持ち帰ったことから、ヨーロッパでも砂糖の需要が生じ、少なくとも王や貴族たちは砂糖を楽しむようになった。

十字軍はキリスト教徒がエルサレムを取り返すために組織されたようです。

11世紀から 15世紀中頃にかけて行なわれた,西ヨーロッパのキリスト教徒の東方遠征。エルサレムの聖墳墓をイスラム教徒の手から奪還,防衛することを名目とした。(出典)

砂糖きび栽培はポルトガルがさらに西へ広めた

イスラム教徒から砂糖きびと製糖を学んだキリスト教徒は、さらに砂糖きび栽培を西へと広げていくのですが、その役割を負ったのは、ポルトガルでした。

ポルトガルは13世紀頃に、イスラム教徒の支配を脱出して独立国となっていました。その後、アフリカ西海岸に進出し、アジアへの航海をめざしていたとあります。

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書) によれば。

一四一五年にアフリカ北岸のセウタを占領したことからはじまり、マデイラ アゾーレス諸島など、大西洋沖の諸島はポルトガル領となったものです。

こういうのは、地図を見ないと分からないものです。それぞれグーグルマップのリンクを貼っておきますので位置関係を確認してみてください。便利な時代になったものだと思います。

それぞれ地図で見ると、ははーん、なるほどと思います。

そして、1498年に、ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカの南端喜望峰をまわってインドのカリカットに到達し、待望のインド航路がひらかれました。

この頃、砂糖の生産は、土地やコストの問題から、大西洋沖の島々に移されました。砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書) からです。

イスラム教徒によって東地中海の島々――キプロス、ロドス、クレタ、マルタ、シチリアなど――にひろめられた砂糖生産は、一五世紀末には、ポルトガルの大西洋沖にある島々、すなわち、マデイラ諸島、カナリア諸島のほか、西アフリカのギニア湾沖にあるサン・トメ島などに、その中心が移りました。

マデイラ諸島は既出です。

ここでは、アフリカ人奴隷を使った砂糖きびのプランテーション(単一栽培)が大規模に行われていたとあります。

コロンブス

コロンブスは砂糖きびの苗を持っていった

最初は貴重品で薬に使っていた砂糖ですが、イスラム教徒から砂糖きび栽培と製糖技術を手に入れると、だんだん普通のものになっていきます。

しかも、砂糖はほぼ100%の人に好まれる甘味で需要は際限なくあります。大西洋沖の島々だけで生産するには手狭になりました。

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書) からです。

コロンブスが西半球に向かった、その第二回目の航海に、砂糖きびの苗を携えていったのは、このような事情からでした。

砂糖きびは、こうして新世界にもたらされましたが、コロンブスの新世界「発見」(一四九二年)やヴァスコ・ダ・ガマのインドへの航海(一四九八年)以後、アメリカ大陸とアジアとアフリカとヨーロッパとのあいだを、新しい動物や植物の品種が活発に移動しました。

香辛料だけを追いかけていたのかと思っていました。砂糖生産の場所を探していたとは知りませんでした。

アジア、アフリカ西海岸とブラジルを植民地に

1493年にポルトガルはスペインと世界を二分する協定をローマ教皇のもとで結びました。

ポルトガルは、アジアのほか、アフリカ西海岸とブラジルを植民地として持つことになりました。砂糖きびのプランテーションは次々と移動しながら行われ、ブラジルに移り、16世紀を通じてブラジルが一大生産地になりました。

砂糖きびの栽培が移動しながら行われるのは、上で書いた通り、地力が低下するからです。

オランダの台頭

ずっとポルトガルの一人勝ちかと思っていたのですが、突然、オランダが出てきます。

砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書) からです。

砂糖生産はカリブ海へ移動

一七世紀に入ると、そこからさらに、世界をまたにかけて活躍しはじめたオランダ人が媒介して、砂糖きびはイギリス領やフランス領のカリブ海の島々に移されました。

前者のバルバドス島や、後者のマルチニク島はその典型でした。本当の意味で砂糖が「世界商品」になっていったのは、このころからのことなのです。

まずは場所から確認しましょう。

オランダは資金力がありました。それはそれまで第1の貿易都市だったアントウェルペン(Antwerpen)が衰退し、かわりにアムステルダムが繁栄したからです。当時、世界経済の中心地だったそうです。

アントウェルペンについて調べました。

ベルギー北部,アントウェルペン州の州都。

15世紀後半以降,貿易と近隣の毛織物業によってブリュッヘをしのぐ繁栄をみ,16世紀前半にはヨーロッパ第1の貿易都市となった。

しかしオランダ独立戦争中スペイン軍の攻撃を受け,1585年パルマ公に占領されたうえ,オランダの独立に際して,スヘルデ川の航行が禁止された影響でその繁栄をアムステルダムに譲った。(出典

資金力があったオランダは、ブラジルの砂糖も押さえていたと砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書) に書かれています。

ポルトガル領であったブラジルにおいてさえ、そこでの砂糖プランテーションの多くが、事実上は、資金の豊かなオランダ人商人の手にわたっていた、ともいわれているのです。

キューバの砂糖

最後にキューバの砂糖について書いておきましょう。キューバは、1493年にポルトガルとスペインの協定により、スペインの植民値になりました。

ちなみに、キューバ島は、コロンブスによって発見されました。

砂糖の歴史 (「食」の図書館)にはこのように書かれていました。

この島では1523年からサトウキビの栽培が始まっていたが、外国船との取引を禁じる法律や奴隷の輸入に対する制限といったスペインの政策が原因で、製糖業は十分に発達していなかった。

キューバの製糖業は1762年になってようやく軌道に乗る。(中略)

スペインは奴隷の輸入に関する法規制を緩め、キューバに外国船との取引を認めた。キューバの製糖業は繁栄し、大量の砂糖が輸出され、ヨーロッパやアメリカから加工品が入ってきた。(中略)

キューバの砂糖生産量は輸送システムの発展によって増加した。新しい道路、そして後には鉄道が整い、製糖所から輸出港まで砂糖を輸出できるようになった。

同じ頃、イギリスやフランスの支配下にあった島々で奴隷の解放が進んだことから、カリブ海の他の島々で砂糖の生産量が減った。キューバは奴隷制を維持し、瞬く間に世界で最も費用効果の高い砂糖生産地となった。(中略)

1840年代から1870年代のあいだ、キューバは世界の砂糖の25~40パーセントを供給していた。

キューバは砂糖一大生産国となったのです。

まとめ

ニューギニア原産といわれる砂糖きびは、インドで製糖されるようになり、イスラム帝国の拡大とともにイスラム教徒が、地中海の島で栽培、製糖するようになりました。

その後十字軍遠征によって、ヨーロッパのキリスト教徒がエルサレムを奪回しますが、イスラム教徒から砂糖きびと製糖技術を受け継ぎます。

その後、ポルトガルが大西洋の島々でアフリカからの奴隷を使って砂糖きびの栽培と製糖を行うようになります。

砂糖が一般化するにつれ、需要は際限なくあったので、大航海時代に砂糖きびの苗を持って新たな生産地を探すようになります。

16世紀、ブラジルが一大生産地になりましたが、その後、生産地はオランダによってカリブ海に移ります。

キューバは、1840年代から1870年代のあいだ、世界の砂糖の25~40%を供給するほどになりました。

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