なぜ満洲の大豆がヨーロッパにすんなり受け入れられたのだろう?

満洲の大豆は、日露戦争後、日本の商社によってヨーロッパに輸出されるようになりました。満洲の大豆はだぶつき、ヨーロッパでは油糧作物の綿実と亜麻仁が不足して値段が上がっていました。大豆を粉砕して油とミールを作り、油は石鹸に、ミールは家畜の飼料にする方法は満洲ですでに行われていました。その後水素添加技術が発明され、マーガリンの原料にもなり、広く支持されました。ヨーロッパの国々は植民地で栽培試験をしましたが、成果があまり上がらなかった。根粒菌には働きにくい条件がいくつかあるのです。

大豆

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なぜ大豆がヨーロッパにすんなり受け入れられたのだろう?

以前、大豆の自給率はなぜ低いのか?という記事を書いた時、満洲から送られた大豆が、イギリスで発明されドイツでさらに改良された溶剤抽出法によって、根こそぎ搾油されるようになったことを知りました。

大豆の自給率はなぜ低いのか?
大豆は明治時代までは自給自足できていました。しかし、満州で大規模生産するようになると、国内の農家はつくっても儲からなくなり栽培するのを止めます。戦後は、アメリカから安く入って来ましたが、その後、大豆が不足する事態になり、ブラジルで生産してもらうようになっています。

大豆の含油率が20%程度しかないのがその理由なのですが、大豆に需要がなければこんな技術が生まれるわけはありません。かなり需要があったのでしょう。

大豆は、中国の満洲で栽培されていたローカルな作物ではなかったのかな?と思いました。なぜ、ヨーロッパで簡単に受け入れられたのだろうと思いました。

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日露戦争後、大豆はヨーロッパへ輸出された

いろいろ検索していると、とても詳しいsoyinfocenterのサイトを見つけました。

SoyInfo Center: Soy From A Historical Perspective

このサイトのHistory of Soy in Europe (incl. Eastern Europe and the USSR (1597 – Mid 1980s) – Part 1を読むと、丁寧に整理されていて、私の疑問に応えてくれます。

満洲の大豆は日露戦争時は、軍の糧食として使われていました。

ロシア軍が満州で戦って敗れた日露戦争(1904〜05年)では、地元産の大豆が両軍の重要な食料となった。

乾燥させた凍り豆腐をはじめ、いくつかの保存食を基本的なタンパク源としていた日本軍兵士のスタミナに、ロシア軍は驚いたと伝えられている。

大勢のヨーロッパ人が東アジアで初めて大豆を口にしたこの出来事は、ドイツのセンフトをはじめとするヨーロッパの科学者たちの間で、大豆食品の軍事利用に対する大きな関心を呼び起こすことになった。

ところが、戦争が終わると、その需要がなくなります。

日露戦争後大豆が余った

日露戦争後、満洲では大豆が余り、一方、ヨーロッパでは油糧作物の綿実と亜麻仁が不足していました。そこに日本の商社から大豆を安い値段で買わないかと持ちかけられたのです。

1905年の日露戦争終結後、軍隊が撤退した満州では大豆が余っていたが、それを消費する軍隊がなかったのだ。新しい市場を開拓しなければならない。

その頃、ヨーロッパでは伝統的な主要油糧である綿実と亜麻仁が不足しており、非常に高価なものとなっていた。

1907年、日本の商社は満州産大豆の最初の大規模な試験出荷をイギリスに送り、リバプールとハルにあるイギリスの製油所で大豆を粉砕して油とミールを作った。この実験的な破砕の結果は良好で、輸入大豆の価格は高い競争力を持っていた。

満洲の大豆が余り、ヨーロッパでは油を搾るための油糧作物である綿実と亜麻仁が不足していたという条件が重なったのです。

グッドタイミングというわけです。

もちろん、大豆の価格は安く提示されたので試験的に搾油してみたらよかったというわけです。

輸入量が増えます。

1908年、イギリスは満州から40,600トンの大豆を輸入し、粉砕した。その後、輸入量は急増し、1910年にはピーク時の輸入・破砕量が44万9000トンに達した。大豆の輸入は、1912年まではイギリスが圧倒的に多く、次いでドイツ、デンマーク、オランダの順であった。その後、1913年にはドイツとロシアが主要な輸入国となった。

ちなみに、イギリスでのピーク時は1910年44万トン輸入していたとありますが、これは満洲での生産量のピークが1926年に387万トンと記録されているので、かなりの割合です。(参考:日本の大豆搾油業の黎明

大豆は食料にはなりませんでした。

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大豆油は石鹸の原料となり、その後マーガリンにも使われた

大豆から油を搾り、しぼりかすのミール(大豆粕)を家畜の飼料にする使い方も輸入されました。

大豆を食品としてではなく工業製品として扱い、粉砕して油とミールを作り、油は石鹸に、ミールは家畜の飼料にするという基本的な考え方は、1800年代後半に発展した満州から取り入れたものである。

石鹸は油にナトリウムなどアルカリを反応させて作ります。石鹸の作り方は、けん化価とは何かという記事で紹介しています。

ところで、大豆油は、昔からサラダ油の原料として使われています。常温では液体です。オメガ6の不飽和脂肪酸リノール酸が50%を占めます。

水素添加技術が発明され大豆油がマーガリンに使えるようになった

不飽和脂肪酸に水素を添加すると、飽和脂肪酸になり常温で固体になるのでマーガリンに使えるようになります。大豆油はマーガリンの原料にもなりました。

1897年から1904年にかけてフランスのサバティエとセンデランスが開発した水素添加法を、ドイツ人のノルマンが油に応用して1903年に特許を取得し、1906年にはイギリスでヨーロッパ初の水素添加プラントが稼働し、その後10年間で大豆油の水素添加が行われたのである。

1868年にフランスでメジェ・ムリエス^が発明したマーガリンは、すぐに大量の大豆油を吸収してしまった。

油に水素添加するという意味がわからない方もいらっしゃると思います。私もわからなかったです。もし、知りたいと思った方は、油に水素を結合させる、水素添加をする意味はわかりますか?をお読み下さい。

簡単に書くと、油の融点が上がるので常温で固体になるのです。それでマーガリンに使えるようになります。

マーガリンについてはマーガリンっていつからあるか調べてみたら150年くらい前からあったという記事を書いています。最初は牛の脂肪と乳房からの抽出物、それに脱脂粉乳を混ぜてバターの代用品としたとありますが、水素添加した大豆油が使われるようになってから幅広い支持を獲得したとあります。

しかし、ヨーロッパの各国が、満洲からただ大豆を輸入していたとは思えません。自分の国で作ればもっと安く得られるからです。

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大豆がヨーロッパから植民地に広がるがあまり成果が上がらなかった

大豆に価値があるなら自国や植民地で栽培実験が始まりましたが、うまくいかなかったようです。原因についてほとんど詳しいことは書かれていませんでした。しかし、この頃にアフリカに大豆が導入されたことは覚えておきたいです。

1909年頃から満州からの大豆の輸入が急増すると、植民地を持つヨーロッパ諸国(イギリスを中心に、ドイツ、ベルギー、フランスなど)では、植民地での大豆栽培の実験が始まった。

その結果、アフリカの多くの国に大豆が導入され、インドでも関心が高まったのです。しかし、その成果は概して期待できるものではなかった。

以前、大豆の自給率はなぜ低いのか?を書いた時に、大豆がヨーロッパで栽培できないのは根粒菌がいないからだと書きました。

根粒菌は空気中の窒素を同化して大豆に供給してくれる細菌です。窒素はたんぱく質に必ず含まれています。乾燥大豆100gにはたんぱく質が30g以上含まれています。こんなにたんぱく質が多いのは、根粒菌のおかげです。

栽培試験がうまくいかないのはきっと根粒菌が原因だろうと思って、今回、根粒菌の働く条件を調べました。

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根粒菌には働きにくい条件がある

根粒菌は、地温が低いと働かない。水や酸素が十分にないと働かないことがわかりました。

社団法人 全国農業改良普及支援協会の収量・品質の向上と安定生産のための大豆づくりQ&Aを読むと、こんなことが書かれていました。

地温が低いと働かない

以前、ドイツで大豆が栽培できなかった話を書きましたが、これは、地温が低いことが原因でしょう。

根粒窒素固定は1日の中でも刻々と変化していますが、それは地温と同調しています。根粒菌は地温が15℃だとほとんど窒素固定ができず、10℃上昇すると窒素固定は2倍以上に増大します。

このように根粒窒素固定は地温の影響が著しく大きいので、北海道など、冷涼な地域では根粒窒素固定が十分には働きにくく、地力や追肥窒素の効果が大きくでます。

水が不足すると働かない

干ばつが起きる地域では育たない。砂漠が多いアフリカではむずかしいのかもしれません。水稲より水が必要なのです。

大豆の根粒は豆科作物の中でも干ばつに著しく弱いので、わずかな干ばつでも窒素固定は低下します。(中略)

大豆は畑作物ですが、要水量は水稲よりも多く、窒素固定、光合成を高めて多収をあげるには十分に水を吸収させることが不可欠です。

酸素が不足すると働かない

根粒菌は酸素が必要な呼吸をします。通気性を確保し酸素を供給しないと働きません。

大豆の根粒は好気的呼吸によるエネルギーで窒素固定を行っているため、根圏への酸素供給と窒素固定は密接な関係にあり、湿害圃場では根粒が十分に働かず、通気性が良い圃場で根粒窒素固定が高まります。

これらの条件があるため、EUは今でも大豆を輸入しています。

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NOTE

この記事を書くきっかけになったのは、大豆と人間の歴史―満州帝国・マーガリン・熱帯雨林破壊から遺伝子組み換えまでを読んだからです。

細かい文字で300ページ以上あり、大豆の歴史について広く網羅されています。特に南米での大豆の広がりは儲かるのでドラマチックです。大豆に興味がない人には、10分で眠気を催すこと間違いないです。

時系列がきれいに整理されていないところがありますが興味のある人にとっては一読の価値があります。大豆に関してこんなに詳しい本は他に知りません。

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