小泉先生の「食でたどるニッポンの記憶」は、食いしん坊の小泉先生の子供時代から大人になるまでを食べものでふり返る、なんともお腹がすく本です。
しかし、普段食べるものが短い期間に高タンパク高脂肪になるとどうなるのか?日本のこれからの変化を先取りした沖縄から予測する本でもあります。
農大の小泉先生の本、食でたどるニッポンの記憶を読みました。
この本、小泉先生の書かれた本の中では、いままでと感じが違います。何しろ子供時代から東京農大で博士号を取得するまで、食べものでふり返る本です。
小泉先生ファンなら必読の一冊ではないかと思います。もちろん、読みながらお腹がグーグー鳴ること間違いなしです。
超高齢化時代にどう対応するか
しかし、この本のテーマは、これからの時代の食生活を考えることだと思いました。
本の最後に、奄美大島の人たちの健康状態と食生活について書かれています。少し長いですが抜き書きします。
奄美大島の暮らし
現在、日本でいちばんの長寿エリアといわれているのは、鹿児島県の離島である。徳之島、喜界島、奄美大島などがそうである。
なぜ、奄美大島の人たちが長寿なのかを調べるため、平成二二年(二〇一〇)に、鹿児島大学の医学部の先生たちと、農学部の先生たち、そして私も加わって奄美大島に調査に行った。
医学部の先生たちが、奄美大島のお年寄りの健康調査を行ったところ、奄美大島の七〇歳以上の人たちは、ほとんど病気がみられなかった。
つまり、長寿なだけでなく、健康寿命も長かったのである。
一方、農学部の先生たちと私は、食べ物の調査をした。そこでわかったのは、昭和三六年(一九六一)に奄美大島で郷土資料集が作られた際に、各集落で何を食べているのかを調べたときの食事と、私たちが平成二二年(二〇一〇)に調査したときの食事が、ほとんど同じだったことである。
具体的に何が食べられていたかというと、当時も今も、米が主食で、主菜は魚。海藻もたくさん食べていた。
奄美大島はモズクの生産量がトップクラスで、蒸かし饅頭の中にまでモズクが入っていた。そして、野菜と果物の摂取量も多かった。
野菜の中でもサツマイモをよく食べていて、サツマイモのつるまで干して食べていた。
他方、肉はあまり食べていないこともわかった。つまり、先に述べた和食の主材がしっかり受け継がれていたのである。(中略)
この奄美大島の実情は、今後、日本が超高齢化社会を乗り切るための、重要な指針となるものと、私は固く信じている。
この何十年の間に日本人の食生活は大きく変わりました。そして、超高齢化時代を迎えつつあります。
思えば、私の父親の時代、会社員の定年は55歳でした。今は定年が60歳に引き上げられましたが、60歳でおじいさんらしくなっている人はほとんど見かけません。そして、60歳以降も働く人は多いです。
これからの時代は、長く働く時代になるだろうなと思っています。
しかし、年齢が上がるにつれて病気の心配が出てきます。肉体が古くなっていくので仕方ありません。それに対抗して元気でいるためには、適度な運動と食生活についてよく考えることが必要です。
今は情報過多時代なので食品についての情報が簡単にたくさん手に入ります。しかし、実際のところ何を食べていけばよいのか、よくわからないというのが実情です。
たとえば、糖質制限について、油(脂肪)について、さまざまな(対立する)話があります。どの話も読むとなるほどなとは思うところはありますが、どれが正しいのかわかりません。
小泉先生が最後に書かれていたのは、日本人が長く続けていた食生活がまだ残っているところを探して調査してみたらこんなことがわかったという話なのです。
- 70歳以上になってもほとんど病気がみられない。
- 米が主食で、主なおかずは魚。海藻もたくさん食べていた。
- 肉はあまり食べていなかった。
短い期間で、あれを食べた方がよいこれを食べた方がよいと考えるより、日本人が長い間食べ続けてきたものが一番日本人の体に合っているのではないかという話なのです。
そして、小泉先生が少年時代から大人になるまで食べてきたものを振り返ることによって、いかに短期間に日本人の食生活が変化したかを知ることができます。
この本は、小泉先生が中学生になるまでは、昔ながらの日本の食事の話が続きます。敗戦後、徐々に日本が豊かになり、それが食生活に反映されていく様子がわかります。
マヨネーズの衝撃
先生も意図されて書いたのでしょうが、唐突にマヨネーズの話が出て来ます。
1958年(昭和33年)頃の話です。
昭和30年代に洋食が普及して、食生活が変わり始めた一つの象徴としてマヨネーズがあったのでしょう。
中学時代の「食」の記憶で、真っ先に頭に浮かぶのが、中学三年生のとき、わが家の食卓に登場したマヨネーズである。(中略)
わが家の最初のマヨネーズ料理は、ポテトサラダだった。ジャガイモをつぶしてマヨネーズを和えたシンプルなものだったが、ひと口食べたとき、
「なんだ、これは」
と衝撃が走った。それまで食べたことのない味と舌ざわりに、私の食センサーが大きく反応したのは言うまでもない。夢中でポテトサラダを食べた。もはやそれは、ジャガイモ料理の範疇を超えたものだった。
私は1961年(昭和36)生まれなので、ものごころついた時にはすでにマヨネーズはありました。最初のマヨネーズ洗礼は、何歳の頃か忘れましたが、初めて食べたタマゴサンドだったと思います。
なんてうまいんだろうと思いました。
当時中学生だった小泉少年は、マヨネーズに引き続いて魚肉ソーセージにも心を奪われていたようです。
魚肉ソーセージ
魚肉ソーセージは、昭和27年に発売されたのが最初だそうです。もちろん、私が生まれたのはそれからずいぶん後ですからすでにありました。
私の年代では、普段も食べていたけど、小学校の給食にも定期的に出てきました。魚肉ソーセージは高いと思った記憶がないので、値段も安くなっていたと思います。
当時、コロッケが五円の時代に、魚肉ソーセージは一本三〇円もしたから、それはそれは大切に食べた。
なるべく細く薄くチッチッチッチッチッと切って、五〇ピースくらいに分ける。風が吹いたら飛びそうなくらい薄いその切片は、口の中に入れると、あっという間に喉につるんとすべって入って行く。(中略)
学校へ到着する前に、自分で一本食べてしまうこともしばしばだった。そんなときは、食べ終えるのが惜しくて、ゆっくりゆっくり時間をかけて食べ、なんとか学校へ着くまで持たせようと頑張った。
しかし、ちょっと油断をすると、ちゅるっと喉へ入ってしまい、せいぜい持って二分が限界だった。
子供の頃の食べものの記憶をこんなふうに書けるなんて、本当に好きだったんだろうなと思います。
マヨネーズによって生野菜(サラダ)を食べるようになり、魚肉ソーセージとあわせて洋食が一般化して行きます。
そして、現在のわれわれの食生活につながっていきます。
食生活の変化がどのように影響するのか、一つのケースとして沖縄のことを書かれています。
沖縄の食生活の変化からわかること
1945年(昭和20年)から1972年(昭和47年)までアメリカの統治下に置かれた沖縄は食生活が大きく変わりました。
1969年(昭和44年)に沖縄に行った話が書かれています。まだ沖縄が日本に返還される3年前のことでした。
食に関しては、肉の安さと、その流通量に圧倒された。
日本ではまだ、肉食がそれほど普及していない時代だったが、アメリカに統治されていた沖縄ではアメリカから関税なしで肉が入っていたため、日本とは格段に値段の差があった。
レストランは、ステーキハウスが大半を占め、市場へ行っても、肉、肉、肉という状況だった。
肉とともに沖縄の人に欠かせないランチョンミートという缶詰があります。
ランチョンミート
ゴーヤチャンプルにはランチョンミートが定番だということは知っていますが、多分、私は1回くらいしかランチョンミートは食べたことがないです。あまり身近に売っていません。
ランチョンミートは、生の豚のひき肉などに発色剤を加え、さらに調味料や添加物(防腐剤、化学調味料、香料、酸化防止剤など)を加えて缶に詰め、加熱殺菌された食肉加工品である。(中略)
沖縄の人たちは、今もランチョンミートのことを「ポーク」と呼び、各家庭に最低でも一〇個くらい常備している。
また、現在の沖縄の人たちは野菜を食べる量も少ないそうです。この食生活の変化によってどうなったか。
全国一位だった平均寿命が下がった
一〇年くらい前までは、沖縄は男女ともに平均寿命がトップだったが、最近はどんどん落ちて、今、沖縄県の平均寿命は、四七都道府県中、男性が三〇位まで下がっている。女性も四位まで下がった。
これほど短期間で平均寿命が急激に下がったのは、お年寄りが亡くなっているからではない。平均寿命を下げているのは、若い世代の人たちが亡くなっているためである。
病気の種類も変わり、昔は脳卒中や胃がんが多かったが、今は直腸がん、大腸がん、潰瘍性大腸炎などが増えている。
ちなみにこの話を読んで思い出したことがあります。
1990年、西丸震哉さんが41歳寿命説―死神が快楽社会を抱きしめ出したという本を書かれ、当時話題になりました。
この本の中に沖縄の人が男女とも長寿なのはなぜか原因について書かれています。この時代、沖縄の人は男女とも平均寿命が第1位なのでした。
そのせいか、1990年頃、ブタ肉を食べるのがよいのだという空気がありました。西丸さんはこれに異論を唱えたのです。
ある高名な老人医学の専門家は、沖縄県の平均寿命が日本一長いのはブタ肉の摂取量が多く、動物性タンパク質をより多く摂り入れているからだとし、長寿のためには動物性タンパク質の多量な摂取が不可欠と力説している。(中略)
だが、沖縄の人の寿命が長いのは、ブタをたくさん食べているためではない。ブタもバランスよく食べているぶんにはいいだろうが、少なくてはいけないとか摂れば摂るだけいいなどと短絡してはいけない。
私の調査では、沖縄の人は野菜・海藻の類を多量に食べているし、まわりの空気・水もいい。老人でも何らかの仕事をあてがわれていることが多く、生き甲斐をもって楽しく生きているから、ストレスも少ない。
41歳寿命説は、売れた代わりにアマゾンのレビューでは今でも評判がよくありません。
私は20歳から西丸さんの本を読んでいました。山や冒険、幽霊や食生態学の本を読んでいたので41歳寿命説もとても面白く読みました。
西丸さんが書かれていたように、ブタ肉をたくさん食べていたから長寿になったわけではなかったのです。
沖縄の昔の時代を生きていた人たちは長寿でしたが、アメリカ型の食生活で育った若い世代の人たちが亡くなるようになって平均寿命が下がっているのです。
沖縄で起きていることは、これからの日本で起きること
小泉先生は、沖縄で平均寿命が下がってきていることは、沖縄だけの問題ではなく、これからの日本で起こることなのだと書かれています。
沖縄は、終戦直後からアメリカに直接統治されたため、本土より先に食生活がアメリカ型に変化した。そして、ここ一〇年くらいで平均寿命が下がってきた。
本土では、沖縄より二〇年くらい遅れて、アメリカ型の食生活が普及した。
つまり、今、沖縄で起こっている問題は、近い将来、日本全国で起こり得る問題なのである。
そして、沖縄と比較してアメリカ型の食生活にならなかった奄美大島の調査結果が紹介されます。これは冒頭に書いた通りです。
まとめ
食事は健康を維持するために必要ですが、快楽の一つでもあります。
和食は昭和30年代まではなんとか維持できていたようですが、昭和40年代半ばから高タンパク、高脂肪、高カロリーの食事に変わっていきました。
現在は、健康志向で総カロリーこそ下がりつつありますが、食事の内容が高タンパクで高脂肪なのはあまり変わりがないと思います。小泉少年がマヨネーズと魚肉ソーセージに魅了されたように高タンパクで高脂肪の食品はおいしいのです。
しかし、病気にならずに超高齢化時代を生きて行くには、ごくごく単純に考えて、昔からの日本人の食事にするのが一番確実な方法だと思います。
快楽を享受するか、それとも元気に生きていくことを選ぶか考えなくてはいけません。