物事を習得するために、最初は慣れるために回数をこなす必要があります。しかし、回数をこなすことが目的化すると、質を上げることができません。これは胸に手を当てるまでもなくよく経験することです。
この本を読んで、回数をこなすことで得られる満足感のワナに引っかからないようにしなければと思いました。
名越康文さんの心がフッと軽くなる「瞬間の心理学」 角川SSC新書を読みました。タイトルは全く魅力が無いのですが、名越康文さんの本は読んで外れがないです。
習うより慣れろ
物事に上達したいと思ったら、「習うより慣れろ」といわれます。まったくその通りだと思います。
何しろわれわれ世代は「巨人の星」を見ながら育っていますので、1000本ノックが脳みそに焼き付いています。英単語を覚える時も何度も紙に書いて覚えたものです。
仕事を始めた後も、まずは「習うより慣れろ」で回数をこなすことです。試行回数が増えると気づくことも多くなるので、仕事に早く慣れることができます。
しかし・・・。
回数をこなしていると、あるところから回数をこなすことが目的になり、「気づき」に重きを置かなくなることもよく経験することです。「惰性でやる」といわれることなのですが。
手段が目的化する
この話はとてもよく分かります。しかし、分かることと自分でやっていることが違うことはよくあることで。
名越: 例えば、スポーツジムには僕も若い頃、3年くらい通い詰めたことがあったんですが、根を詰めすぎてバーンアウト(心身のエネルギーが尽き果てること)した経験があるんですね。
やり始めた頃は、すごく気持ちがいいんです。気持ちがいいからやり続けていると、「まだまだやれる」とエスカレートしてきて、ある時気づくとクタクタになっていました。
やっぱりそれは、どこか思考停止に陥った時に、燃え尽きるんじゃないかという気がします。6つのマシンをやったのだから、次は7つ、8つになり、だんだんトレーニングの質を問わなくなってくる。
―――スポーツでナチュラルハイが訪れると、体力の限界までどんどんこなしていこうとしますよね。
名越: そうそう。冷静な時って、一つひとつの運動を意識して、今どんな筋肉をつかっているとか、どの程度身体に効いているとか、いろいろバランスを取っていると思うんですよ。
ところが肉体的にも、そして精神的にも燃え尽きるのは、運動の中身を問わなくなった時です。「やったという事実」に依存すると言ってもいいかもしれません。
―――燃え尽きる時って、要するに自動操縦のエスカレートみたいなものですよね。
名越: だから、どんどん中身が空疎になって、本当は毎回毎回違う経験の積み重ねなのに、その経験の中身を問わないから、回数とか時間とか、あるいは痛みとか興奮とかすごく粗雑な実感に依存し始めるんです。
本当に不思議ですよね。人間の依存心って、必ず手段が目的化しますよね、絶えず。
やっぱり僕たちは、経験というものの中身を取り出すと不安になるんです。昨日、この方法を取ったらうまくいったのに、今日はあまりうまくいかない。「これでいいのだろうか」と不安に駆られた時に、「とりあえず昨日より回数を増やしてみよう、それだったらうまくいくかもしれない」と、質ではなく量に依存したりする。
不安に耐え切れなくなるから、目にみえる回数とか、それにともなう筋肉痛とかについ依存しちゃうんですよ。
だからそこを意識して、まさに意志の力でちゃんと食い止めないといけない。
ある高僧の方に、「修行をする人は多くいるのに、どこで差がついてしまうのでしょう」とお尋ねしたことがあったんです。
そうしたらしばらく沈黙が続いた後、「自分は一つひとつの所作、一つひとつの行を、自分が得心いくところまでやった」と応えてくださいました。
人間というものは「修行すること」でさえ、いつの間にかそれ自体を目的としてしまいがちだということではないでしょうか。
粗雑な実感とは、強い感覚です。細かい些細な感覚と違って、味わうと満足感が得られます。回数や、かかった時間や、苦しい感覚など。
しかし、上達するときには、もっと微妙な感覚を探っているものです。
微細な感覚を感じ取れるように
ここから先は仕事の話が出てきます。まず仕事に慣れるためには、回数をこなす必要があります。しかし、そこまででは「慣れた」だけです。
そこから先に進むためには、気づきがあるかどうかです。文中に「同じ仕事を割り当てられた人同士であっても、5年も経てば・・・」と出てきますが、今の年齢になるとよく分かります。
―――その方の言葉は、まさに普段の心がけとしても非常に強く響いてきますね。
名越: そうなんです。つまりは何事も、回数をやればいいと思っていたら、何にもならないということなんです。その差はいずれ、天と地くらい大きく開いてしまうんですよ。
例えば、会社員の人でルーティンワークの仕事をしているとするでしょう。
最初は同じ時期に同じ仕事を割り当てられた人同士であっても、5年も経てば、ルーティンワークの仕事の中身を問わないで漫然とやっている人と、たとえルーティンワークでも中身を実感して一日一日を二度と起こらない一回性の経験というふうに、物の本質を見据えてやっている人との間では、実力が天と地の差ぐらい違ってくると僕は思うんですね。
たとえ決まりきった仕事でも、同じ経験が二度とないと思えば、わざわざ気分転換をしなくても、同じサイクルの中でその中身を見つめることで、いろいろ興味を持ったり考えたりすることができる。
苦しくても、楽しくなくても、「ただやり切ればいいんだろう」とばかりに闇雲に努力を繰り返していたら、単なる徒労で終わる可能性が高い。
言葉にすると単純になってしまうのですが、多くの人の歩み方を見て「努力の中身が重要」だとはつくづく感じます。これも日頃から充実した時間を少しでも持てるための、コツのようなものではないでしょうか。
この本を読んでよかったなと思いました。
まとめ
若い時は感覚が敏感な代わりに飽きっぽくて、つまらないと眠くなります。その後年齢を重ねると、繰り返しに強くなります。淡々と同じことができるようなる。
しかし、さらに年齢を重ねると、新しいことを始めることがとても億劫になってきます。いま私はそのあたりにいます。
毎回、いろいろなことを感じ取りながら物事を進めるのは、かなりエネルギーを使うことです。
仕事をルーティンワークにしないことだと改めて思いました。