アイルランドとじゃがいもの大飢饉

1850年頃、アイルランドでじゃがいもの疫病による大飢饉が起き、100万人が亡くなり、150万人以上が移民として国外へ去って行ったといわれています。直接の原因は、栽培していたじゃがいもがほぼ全滅したからですが、当時アイルランドを植民地扱いしていたイギリス政府の対応が悪く、それが被害を拡大することになりました。

じゃがいも

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レクタングル大

じゃがいもはアイルランドで早くから受け入れられた

ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)に書かれていました。

ジャガイモがアイルランドに導入されたのは一六世紀末頃らしいが、他のヨーロッパ諸国とはちがって、一七世紀には畑の作物として受け入れられ、一八世紀には主食として利用する人も少なくなかった。(中略)

アイルランドは北緯五〇度を超える高緯度地方にあり、約一万年前の洪積世まで全島が氷河でおおわれていた。そのため土壌はうすく、しかもその土壌は気温が低いため作物の成育に適した腐植土に乏しい。

このような土壌や気候でもジャガイモはよく育ったのである。

それまでアイルランドの人々は、燕麦(えんばく)を主食にし、オートミールにして食べていました。その他にはバターなど酪農食品を食べていました。しかし、燕麦が不作になると冬に食料不足になっていましたが、それを補っていたのがじゃがいもです。

じゃがいもは生産性が高く、しかも栽培しやすい作物でした。鋤があればじゃがいもを植え付ける場所だけ土を盛り上げそこだけを耕せばよかったのです。耕地を全て耕す必要はありませんでした。

アイルランドはイギリスの支配下にあった

クロムウェルのアイルランド侵略以来、アイルランドはイギリスの植民地のような扱いを受け、アイルランドのカトリック教徒は迫害されていました。

ジャガイモの歴史 (「食」の図書館)を読むと、このように書かれていました。

イングランドのプロテスタントは、アイルランドを征服した後、異教徒刑罰法を通過させカトリック教徒が選挙で投票すること、公職に就くこと、教壇に立つことを禁止した。教育は英国国教会に支配され、カトリック教徒は締め出された。

それ以上に深刻だったのは、刑罰法によってカトリックの土地所有が禁止されたことだった。没収された土地は広大な区画に分割され、イングランドから移民してきたプロテスタントに分配された。(中略)

アイルランドのカトリック教徒たちの中でもっとも高い地位にあったのが、イングランド系プロテスタントが接収した広大な地所の一部を借りることができた小作農だった。

地主の多くは一年のほとんどをイングランドで生活していたので、小作農がしばしば地主の農作物、とくに穀類の手入れをし、アイルランド南部で広く飼育されていた地主の家畜の世話をした。

小作農は自分たちで食べるためのジャガイモを育てた。

小作農は地代を払わねばなりませんでした。しかし、じゃがいもに関しては地代は払わなくてもよかったのです。

このような条件が重なり、じゃがいもの栽培が増加していきました。

再び、ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)からです。

ジャガイモがアイルランドに導入されてから一〇〇年ほどのあいだに、アイルランド人といえば「ジャガイモ好き」として知られるほどに彼らはジャガイモをよく食べるようになっていった。

そして、一八世紀の半ば頃には、ジャガイモがほとんど唯一の食糧といってもよい位置を占める。

『世界を変えた植物』を書いたドッジによれば、当時、アイルランドを旅行したある人は、「ここでは一年のうち一〇ヶ月はジャガイモとミルクだけで過ごし、残りの二ヶ月はジャガイモと塩だけ食べている」と記録しているほどである。

実際、当時、一人のアイルランド人が一日に消費するジャガイモの量は一〇ポンド(約四.五キログラム)に達していた。

ジャガイモは栄養豊富と書かれていましたが、以前、じゃがいもの栄養成分を調べてみたという記事を書いて調べています。

じゃがいもの栄養成分の特徴は、水分を抜くとほぼ糖質(でんぷん)であること。しかし、腹持ちがよい割にカロリーは低めです。ビタミンCやカリウムが...

その時につくった栄養成分表を持って来ましょう。品種などの違いがあるかもしれませんが、概ね変わらないと思います。

栄養成分がないわけではありませんが、栄養豊富とまではいえない。しかし、じゃがいもを1日4.5キロ食べるなら話は別です。この成分表に書かれた数字の45倍の成分を食べることになります。

100gあたりの栄養成分(出典
じゃがいも/塊茎生
カロリー 76kcal
水分 79.8g
たんぱく質 1.6g
脂質 0.1g
炭水化物 17.6g
カリウム 410mg
カルシウム 3mg
マグネシウム 20mg
リン 40mg
0.4mg
亜鉛 0.2mg
レチノール活性当量 0
ビタミンD 0
α-トコフェロール Tr
ビタミンB1 0.09mg
ビタミンB2 0.03mg
ビタミンC 35mg
食物繊維総量 1.3g

昔、日本でも「一升めし」を食べる人がいたそうですが、考え方は同じです。アイルランドでのじゃがいも生産拡大とともに人口も増加したそうです。

ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)からです。

一七五四年に三二〇万人であった人口が、それから一〇〇年足らずの一八四五年には約八二〇万人まで増加したのである。

じゃがいも大飢饉

この直後、1845年8月16日に雑誌で、イギリス南部のワイト島でじゃがいもに新しい疫病が発生したと報じました。

その疫病は、まず葉に斑点が広がり、やがて黒色になる。そのあと壊疽(えそ)は茎やイモにも広がり、悪臭を発するようになる。

この時はまだ対岸の火事でしたが、それでも被害を受けました。じゃがいもの生産は半分になったと推定されました。

この年だけで疫病がおさまれば問題がなかったのですが、翌年、1846年になると被害はもっと増えます。

こんどはジャガイモの九割が疫病にやられた。これに厳しい冬の寒さが追いうちをかけた。一一月には豪雪が襲い、人びとは草を燃やして何とか寒さに耐えた。

一八四八年には再び深刻な飢饉におちいり、餓死者が続出した。「大飢饉」とよばれるゆえんである。

しかし、実際には食糧不足で餓死する人よりは、病気で死ぬ人の方が多かった。栄養不足で体力の弱った人たちを様々な病気が襲ったのである。

病気は、チフスと回帰熱(ノミやダニによる)のほか、はしかや赤痢、コレラなども流行したとあります。また、緊急に買い入れられたトウモロコシを食べていた人の中には、ビタミンCが不足して、壊血病になる人もいました。

じゃがいもを食べていればビタミンCがあるので壊血病にはなりません。

この病気による死亡は一八五一年になってようやく下火になったが、それまでにこの「大飢饉」によってアイルランドで失われた人口は一〇〇万人に達するということで歴史家の見解は一致している。

あまりにも死亡者が多かったため棺桶も墓もまにあわず、そのままの状態で荷車によって運ばれ、遺体はまとめて埋葬された。

このような状態で、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど英語の通じる国へ移民する人も多数いました。

アイルランドを去って行った人は150万人に達するとされます。

後にアメリカの大統領になったJ・F・ケネディの祖父は、大飢饉がおこった1848年にアイルランドを捨てアメリカに移住したのだそうです。

大飢饉の原因と結果

この大飢饉の原因は、もちろんじゃがいもの疫病にあります。

原因菌

この病気のもとは、当時は知られていなかったが、真菌類のフィトフトラ・インフェスタンスであり、これに侵されたジャガイモはジャガイモ疫病になることが知られている。

おそらくアメリカ大陸からもたらされたものだと考えられている。

真菌類は、細菌とは違います。カビの仲間です。フィトフトラ・インフェスタンスを調べてみると、タキイ種苗のサイトにありました。ナス科の植物(トマト・ジャガイモ・ピーマン)に共通して感染するそうです。

ガーデニング・家庭菜園や農家様の「タネのタキイ」。野菜、花、芝の種 品種データベースや病害虫情報、切り花アレンジメントなど役に立つ情報が満載!ぜひご利用ください。

このページを見ると、侵されて黒ずんだトマトなど見ることができます。

代替作物がなかった

あまりにもジャガイモに依存しすぎたせいで、飢饉のような非常時に代替作物がなかったからである。

さらに、この状態に拍車をかけたのが、単一品種ばかりを栽培したことである。ジャガイモには数多くの品種があるが、アイルランドでは一九世紀の初め頃からもっぱらランバーとよばれる品種のみを栽培するようになっていた。(中略)

したがって、ある病気が発生すれば、それに抵抗性をもたない品種はすべての個体が同じ被害を受けることになる。

おそらく、栽培が簡単でおいしいじゃがいもがあれば何とかなると思って、じゃがいも農家はじゃがいもが病気になることなんか考えていなかったのでしょうか。

しかし、ジャガイモの歴史 (「食」の図書館)を読むと、それまでも何度も不作になることはあったようです。

ジャガイモはさまざまな病気に感染しやすく、1700年から1844年にかけてアイルランドが疫病や気象異常に見舞われるたびに不作になった。

不作は飢饉と死をもたらした。多くの場合、不作は一部の地域で食い止められるか、1年持ちこたえれば何とかなった。

大飢饉が起きているのに穀物が輸出されていた

食料が足りなくなれば、緊急に輸入して国民に配給する必要があります。しかし、アイルランドはイギリスの植民地扱いだったので、イギリス政府がその手当てをしなければいけなかったのですが、それをきちんとやらなかった。

再び、ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)からです。

ただし、大飢饉のすべての原因をジャガイモの疫病だけのせいにするわけにはゆかない。

当時、アイルランドがおかれていた社会的状況も考慮にいれなければならない。先述したように、当時のアイルランドはイギリスの植民地のような状態にあり、農民は貧困にあえいでいた。

そのような状況の中で飢饉がおこったわけだが、政府は十分な対応策をとろうとしなかったのである。

食糧不足を解決するためには海外から安価な穀物を早急に輸入する必要があったが、これは穀物の価格維持を目的とした法律、いわゆる穀物法のために実行が困難であった。

また、自由市場における放任主義、いわゆる「レッセ・フェール」も対応のまずさに拍車をかけた。

その結果、政府による穀物輸入はほとんど実施されなかった。さらに、国外への輸出に対する規制も行われなかったため、数多くのアイルランド人が深刻な飢餓状態にあるにもかかわらず、穀物はアイルランドから失われる一方、という異様な状態にあったのである。

文中の政府は、イギリス政府のことです。穀物法は自国の穀物価格を高く維持し、安い穀物を自由に輸入できないよう高い関税をかける保護貿易のための法律です。

レッセフェールの記事は、ウイキペディアにありました。

レッセフェールとは、フランス語で「なすに任せよ」の意。経済学で頻繁に用いられており、その場合は「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せること」を指す。自由放任主義(じゆうほうにんしゅぎ)と一般には訳される。(出典

アイルランドでも穀物はつくられていましたが、それはイングランドの地主のものであり、アイルランド人を助けるために使われるのではなく、アイルランド国外へと持ち出されていたのです。

ジャガイモの歴史 (「食」の図書館)を読むと、もっと詳しく書かれていました。

1846年7月には、疫病はアイルランドのほぼ全域に広がり、ジャガイモの収穫量は88パーセント減少した。アイルランドのジャガイモは、ほぼ壊滅した。

ここにいたってようやくホイッグ党政府はアイルランドのために食料を購入しなくてはならないという結論に達したが、もはやイングランドにもヨーロッパ大陸にも食料はほとんど残っていなかった。

1846年は、ヨーロッパ全土でジャガイモも穀類も不作だった。自国民の飢えの苦しみを軽減するために、ヨーロッパの国々は食料の輸出を禁止する法律を次々に通過させていた。

アメリカからトウモロコシを追加購入せよという行政命令が下されたが、すでに手遅れだった。ヨーロッパの他の国々がトウモロコシを手に入るかぎり買い占め、来夏の収穫分についても予想される収穫を上回る量を注文していた。(中略)

ジャガイモは不作だったが、それでもアイルランドはこれまで数十年間農作物を輸出してきた豊かな農業国だった。

ジャガイモは、アイルランドの総農業生産の20パーセントを占めるに過ぎず、穀物の生産量はジャガイモの生産量を上回っていた。

しかし、アイルランドの農業を牛耳っていた商人たちは、空腹にあえぐ同郷人に安価に食べものを提供するより、食料を国外に輸出して大きな利益を得ることを選んだ。

ホイッグ党政権は、ヨーロッパの他の国々に倣って海外への食料販売を法律で禁止するどころか、アイルランドの農作物を高値で販売することを許可した。

ウイキペディアには、これまでの大飢饉の話が、ジャガイモ飢饉という記事にまとめられていました。

この中で印象に残るのはこの部分です。

アイルランドの飢饉についての権威であるセシル・ウッドハム=スミス(Cecil Woodham-Smith)の著書 “The Great Hunger; Ireland 1845-1849” によれば

(前略)飢餓でアイルランドの人々が死んでいっている時に、大量の食物がアイルランドからイングランドに輸出されていたという疑いようのないこの事実ほど、激しい怒りをかき立て、この二つの国(イングランドとアイルランド)の間に憎悪の関係を生んだものはない。

アイルランドは飢饉の続いた5年間のほとんどを通して、食料の純輸出国であった。(出典

そして、大飢饉から150年後、このようになります。

1997年、イギリスのトニー・ブレア首相は、アイルランドで開催されていた追悼集会において、1万5千人の群衆を前に飢饉当時のイギリス政府の責任を認め、謝罪の手紙を読み上げた。これはイギリス政府の要人からの初めての謝罪であった。(出典

アイルランドの人口減少

大飢饉の後、1845年には約820万人まで増加していた人口は、餓死、病死と移民のために、アイルランドの人口は急激に減少しました。

ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)からです。

アイルランドの人口は一九一一年の時点で四四〇万人に激減、一八四五年時点の半分くらいにまで落ち込んだ。じつは、この後遺症はいまもつづいており、一九九〇年の時点でもアイルランドの人口は約三五〇万人にとどまっている。

一方、アイルランド系の人口は、アメリカで四三〇〇万人、全世界では七〇〇〇万人に達する、といわれる。

まとめ

私は受験科目に世界史を選択しなかったので、歴史がまったくだめで、イギリスとアイルランドの関係はこの記事で初めて知りました。時間をかけて勉強していない科目は大人になるとまったく覚えていません。

ひょっとするとこの大飢饉の話は世界史の中でもよく知られた話なのかもしれませんが、私が特に印象に残ったので、記事にしました。

カトリックとプロテスタントの対立はよくわからない問題ですが、餓死者が出ているのを援助するどころか、逆に穀物をアイルランド国外に持ち出していたのは、アイルランド人にとっては激しく怒りをかき立てられたことだったと思います。

それにしても、じゃがいもの歴史にこんなことがあったとは。

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