この本を読むと、林原がデンプンを水飴に加工する会社から、微生物、酵素の研究開発を軸としてデンプン化学、新しい糖化製品をつくる会社に変わっていった過程が面白いです。
デンプンは切り方によっていろいろな糖に変わります。低コストでつくることと純度を上げることはとても難しいことでした。
日本企業はなぜ世界で通用しなくなったのかを読みました。
岡山の林原の本です
タイトルだけ見ると、どこかの経済評論家が書いたのかと思いますが、岡山の超優良企業として知られていた林原の四代目社長だった林原健氏が書かれた本です。
残念なことに林原は2011年会社更生法適用を申請し、会社は残ったものの林原健氏は経営から退かれています。林原を少しでも知っていた方なら会社更生法のニュースを聞いたとき、「なんで?」と思われたでしょう。私もその一人です。「トレハロースがあれほど普及したのに、なぜ?」
読み進めると、もともとデンプンを水飴に加工する会社だった林原を、微生物、酵素の研究開発を軸としてデンプン化学、新しい糖化製品をつくる会社にしていった過程が特に面白いです。
デンプンを100%アミロースに分解することが可能になり、それをもとに純度99%のマルトース(麦芽糖)を製造し、やがてトレハロースの量産につながっていきます。
オンリーワンの技術と製品にこだわる心が、林原健さんの個人史とともに語られます。
スマホが普及したことで世の中の「忙しさ」が一気に加速しました。すべてにスピードが求められます。しかし、オンリーワンのものづくりは、時間を区切った成果主義ではできないと書かれています。
毎日忙しく過ごされている方が、寝る前に、ふと、自分を取り戻すために読むとよい本だと思います。
私は生化学に興味があるので、アミロース、マルトース、そしてトレハロースについて調べてみました。構造式を嫌いな方が多いと思いますが、見ながら読んだ方がわかりやすいですよ。
デンプンを100%アミロースに分解する
デンプンはブドウ糖がたくさんつながってできていますが。一本につながっているわけではありません。
デンプンはブドウ糖が何千と並んでくっついた状態になることで形成されています。紐のように並んでくっついているのが全体の2割、あとの8割は木の枝のような格好をしています。
紐のようにつながっているのはアミロース。木の枝のように分岐しているのは、アミロペクチンといいます。あとで下図を見てください。
この話は1960年代の話です。林原がデンプンから水飴をつくる会社から、微生物、酵素の研究開発を軸として、デンプン化学を指向し始めた頃のこと。
デンプンの研究開発の目的を端的に説明すると「デンプンを100%アミロースにし、酵素を使って目的の大きさに分解すること」となります。
デンプンはブドウ糖が連なって形成されており、単純に真っ直ぐな状態ではなく、木々の枝のようにいくつもに枝分かれしています。
アミロースを作るには、まず余分な枝を切ってデンプンを一直線にします。これを単体にするとブドウ糖となり、そのブドウ糖の数を2つ、3つと結合させて新たな糖を作っていくわけです。
この部分を読むと、デンプンを100%アミロースにすることが困難なことだったことがわかります。その前に書かれていたように、デンプンの8割は分岐したアミロペクチンだったからです。
まずは、構造を調べてみましょう。
有機化学 (ベーシック薬学教科書シリーズ 5)によると、
ピラノースの安定な構造はシクロヘキサン環と同様ないす形配座で,ヒドロキシ基はアキシアルかエクアトリアルの配置をとる.
このような実際の構造をできるだけ正確に表すために,有機化学では一般に,糖類をいす形配座で表すことが多い.
と書かれていたので、下図はいす形で書きました。
ラインマーカーを引いたことばを説明しておきます。
ピラノースは、5つの炭素と1つの酸素を頂点として六員環を構成している炭水化物のことです。(出典)ブドウ糖もピラノースの一つです。ここでは、このことばは重要ではありません。
アキシアルは、axis(軸)に由来し、垂直方向のこと、エクアトリアルは、equator(赤道)に由来し、水平方向のことです。
アミロースは直線状だが、アミロペクチンは分岐する
図は、グルコースと、それが一本につながったアミロースと、途中で分岐しているアミロペクチンです。すべて構成単位はグルコース(ブドウ糖)です。アミロペクチンもアミロースも、図で描いたよりもっとたくさんつながっています。
これらがつながってデンプンができています。
イソアミラーゼ
アミロペクチンからアミロースをつくるには、イソアミラーゼという酵素が必要です。
分岐を切ってアミロースにする
アミロペクチンの分岐している部分を切ってアミロースにするには、酵素の力を借ります。その酵素は、微生物がつくるものを利用します。
そのため、いろいろな土地の土を採取し、そこから微生物を見つけて、アミロペクチンを切るものを探すのです。
このときは、わずか2ヵ月で、しかも、自社の研究室の庭先に植えられていた木の根元の土から目的の微生物が見つかりました。
純度100%のアミロースを得ることが目的でしたが、それをつくるための酵素が微生物から得られたので、製造コストも低く抑えられることになります。微生物は培養できれば、単位時間当たり2倍ずつ増えていくからです。
純度99%のマルトース(麦芽糖)を製造
その後、1968年に、イソアミラーゼとさらに見つけた別の酵素を組み合わせて高純度のマルトース(麦芽糖)をつくることができるようになりました。
マルトースは二糖類で、グルコース(ブドウ糖)が2個つながっています。
輸液に使われる
また、「日本企業はなぜ世界で通用しなくなったのか」に戻ります。
マルトースの用途を食品に限らず、医薬の分野にも使えないか検討を始めました。そして、マルトースの純度を高めれば、点滴のための輸液になる可能性があることがわかったのです。
当時の輸液にはブドウ糖が使われていましたが、マルトースにはブドウ糖の2倍の栄養がありました。つまり、マルトースの輸液を使えば、点滴の時間を半減させることができ、これは患者さんの肉体的負担を軽減させることにも繋がります。
さらにマルトースはインシュリンの分泌を促さないため、糖尿病の患者さんにも使用できるという大きなメリットがありました。
2倍の栄養というのは、マルトースがグルコース2分子からできているので、カロリーが2倍あるという意味です。
この後、大塚製薬と共同研究を始めます。
我々は純度99%のマルトースを供給できるようになり、大塚製薬はマルトースを用いた輸液の販売を始めました。
するとこの輸液が私たちの想像を超える大ヒット商品となり、ブドウ糖輸液が主だったそれまでの輸液市場を、マルトース輸液が席巻してしまいました。
中学生の理科で、デンプンは徐々に小さくなり、マルトース(麦芽糖)からグルコース(ブドウ糖)に消化されて腸から吸収されると習った記憶があります。
ところが静脈にマルトースを注射で入れた場合は少し違います。
このことに関連する、静脈内投与されたmaltoseの代謝についてという論文が見つかりました。
マルトースはインスリンなしで細胞に吸収される
藤井らはU-14C-maltoseを各種組織切片とともにincubationすると14CO2の産 生を認め,その経路はglucoseと共通していることを示唆し,さらに,U-14C-maltose投与後の肝臓中の解糖系中間代謝産物の分析により,そのパターンがglucoseの場合にほぼ一致していることから,maltoseは生体内でglucoseとなり解糖系へ移行し,通常の糖代謝系によりCO2に代謝されると結論した.
ここで重要なことは、マルトースは組織(細胞のかたまり)に取り込まれてグルコース(ブドウ糖)と同じように代謝されて、炭酸ガス(CO2)になることです。
グルコースが細胞に取り込まれるにはインスリンが必要です。
しかし、マルトースはインスリンなしで細胞内に入ることができ、細胞内でグルコースに分解され、代謝されます。
糖尿病の人はインスリンが分泌されず血液中のグルコースが細胞に取り込まれないので血糖値が上がってしまいます。輸液にグルコースは使いにくい。しかし、マルトースなら糖尿病の人にも使えるのです。
U-14C-maltoseのU-14C-とは、放射性同位体のことです。
炭素(C)が標識となり、放射性の炭素が入った物質が見つかれば、それはマルトース由来だとわかります。UはUniformの略で、その化合物中に均一に、または全体に標識核種があることを意味します。(ラジオアイソトープ利用ガイドブック)
incubationは、培養することです。
トレハロース
1990年代、トレハロースの名前と林原のCMが流れていたことを思い出します。そして、少し高級なお菓子をひっくり返すと、原材料にトレハロースが使われているのをよく見ます。
再び、「日本企業はなぜ世界で通用しなくなったのか」に戻ります。
1994年、私たちはついにトレハロースの量産化に成功しました。トレハロースは甘味の質が上品で保湿性に優れ、業界では「夢の糖質」と呼ばれるほどに注目されていました。(中略)
トレハロースは砂糖などと同種の天然糖質のひとつですが、なぜ「夢の糖質」と呼ばれていたのかというと、業界では「トレハロースはデンプンからは直接作ることができない」と言われていたからです。
さらにこんなことも。
トレハロースは古くから知られた二糖類です。砂漠などには、乾燥して何年も死んだような状態にありながら、水分を与えてやると生き返る植物や昆虫が存在します。
こういった現象に関係しているのがトレハロースです。トレハロースは細胞の中で水に代わる働きをしながら、水ではないので凍ることはありません。
安価に量産できるようになった
トレハロースは知られていたものの、高価だったので限られたものにしか使えませんでした。林原が安価に量産できるようにしたので、いろいろな食品に使われるようになりました。
以前から、酵母を培養し、デンプンから抽出する方法でトレハロースを作っている企業はありました。しかし、どの方法も効率的にトレハロースを抽出することができず価格が高価だったため、社会に広く普及することはなかったのです。
そんな状況のなか、私たちはどこよりも早く、トレハロースを安価に量産できる方法を見つけました(それまで1キロ3~5万円だった価格を100分の1の約350円にしました)。
トレハロースの構造式は下図の通りです。グルコースが2個結合しています。食べるとグルコース2個に分解されて消化されます。
あれっ?マルトースと同じじゃないかと思った方は、よく見比べてみてください。
林原のサイトには、夢の糖質「トレハロース」で開発ストーリーが公開されています。それをもとに図を描いてみました。
まず、グルコースの炭素番号を載せておきます。1番から6番まであります。図を見るときに必要になります。
トレハロースを作るには、2つの酵素の力を借ります。
まず、一番上のアミロースは規則正しく炭素番号1番と4番がグルコシド結合しています。
その下のアミロースを見てください。1つ目の酵素は、末端にあるグルコースと、末端から2番目にあるグルコースの結合を変化させます。
図にあるように、炭素番号1番同士が結合しています。この形はトレハロースです。
2番目の酵素は、アミロースからトレハロースを切り離す反応をします。
これをくりかえして、トレハロースを次々につくりだします。
これら2つの酵素は、岡山市内から採取されたアルスロバクターと呼ばれる微生物から得られました。量産化は世界初のことだったそうです。
九州に行ったとき、同僚から博多の名物お菓子「博多通りもん」を買って来てと頼まれたことがありましたが、このお菓子に使われたそうです。
「博多通りもん」は白餡(しろあん)の中に練乳やバターを混ぜ合わせた和洋折衷(わようせっちゅう)のまんじゅうのような菓子で、甘味のキレを出すため、さらに保存性や食感を高めるために「林原」のトレハロースが使われていました。
そうそう、私の記憶違いでなければ、北海道帯広の銘菓、六花亭のお菓子にも使われていたと思います。
まとめ
私が林原を知ったのは、インターフェロン 第五の奇跡―長野・岸田両博士と林原生物化学研究所の挑戦という本でした。
本を読んで昔はカバヤ食品と林原が同じ会社だったと知りました。私の年代は、カバヤのガムやキャラメルは知っています。もともと水飴を作る会社だったのに、がん治療に使われるインターフェロンをつくるなんて、変わった会社だなと思いました。
その後、仕事で知り合った人は、事務所に遊びに行くとバイオライトを使っていました。日の出から30分後の目に一番よい光を出すライトだそうで。ヤマギワから発売されていましたが、林原が開発したものだそうでした。当時、4万近くしたので、私は買いませんでしたけれど。
林原はアイディアで勝負する先進的な会社だなと思うのですが、その一方で、本には、縁故採用を優先していると書いてありました。
地元採用、社員の子弟、取引先からの紹介された若者を採用していると。むずかしい試験を課して選抜した人材を採用しているわけではないようです。
このギャップが一般的な会社の考え方と違っていて面白かったのです。
林原は現存していますが、大阪の会社の100%子会社になっているので、昔の林原とは別な会社になっているでしょう。