カツオ節の出汁の旨味はどのように出てくるのか。旨味の主役はイノシン酸とグルタミン酸です。しかし、煮出しすぎると、イノシン酸のリン酸基が、旨味を強く引き出せる状態から変わってしまうらしいのです。
カツオ出汁を食品科学的においしくするための研究-カツオ出汁の酸味に着目してを読みました。
著者のTyu-gen(ちゅうげん)さんは、京都大学農学部食品生物化学科を卒業、京都大学大学院農学研究科食品生物化学専攻修士課程修了、ご専門は食品科学だそうです。
本文はそれほど長くない本ですが、これを書くまで、実験や調査にどれくらい時間がかかったんだろうと思いました。相当な手間や時間がかかっている本です。
ひょっとして食品科学を専門とする方は、このような仕事の進め方をしているのでしょうか。
出汁のサイエンス
この本は出汁についてのサイエンスの本です。出汁に疑問を持ったことがある方が読むと面白いと思います。ただし、出汁の取り方を解説している「料理本」ではありませんのでお間違いなく。構造式や数式やグラフがでてきます。
この本が解明する課題は次の3つです。
- カツオ節で出汁をとると、なぜ酸っぱくなるのでしょうか?
- カツオ節で出汁をとりすぎると、なぜ旨味が弱くなるのでしょうか?
- カツオ出汁をおいしくするには、どうしたらよいでしょうか?
私が一番興味があるのは、「2.カツオ節で出汁をとりすぎると、なぜ旨味が弱くなるのでしょうか?」です。
これはよく経験することだからです。煮出す時間が少し長くなると特にえぐみが強くなる印象がないのに、うま味だけ明らかに減って薄くなります。なぜなんだろうと思っていました。
カツオ節出汁の旨味について
カツオ節の出汁旨味は、「旨味を与える」成分と「旨味を強める」成分によって構成されています。
「旨味を与える」成分は、グルタミン酸。「旨味を強める」成分は、イノシン酸です。この話は何となく記憶にあったのですが、イノシン酸は、なんと筋肉にあったATP(アデノシン三リン酸)が分解して出来るそうです。初めて知りました。
ATPは細胞が生きるためのエネルギーをもつ物質です。
筋肉中のATP(アデノシン三リン酸)がイノシン酸に分解される
ATPからAMPまではリン酸を1個ずつ切り離していきます。AMPがイノシン酸になる時に、右端のアデニンが少し変化しています。
それぞれ構造式が書かれていました。
旨味を感じる仕組み
旨味を感じるのは、舌にある味覚受容体の同じ領域にグルタミン酸とイノシン酸が結合するからだそうです。
ここは、説明を読んでそういうものかと思っていただければよいと思います。
イノシン酸が結合すると言われている「旨味受容体」は「T1R1/T1R3受容体」と呼ばれています。
「T1R1/T1R3受容体」というのは、「T1R1」と呼ばれるタンパク質と「T1R3」と呼ばれるタンパク質が合わさってできている旨味受容体です。
イノシン酸はこれらのタンパク質のうち、「T1R1」の方に結合すると言われていて、特に「T1R1」のタンパク質の「VFD(Venus Flytrap Domain)」という領域に結合すると推定されています。(中略)
「旨味を与える」食品成分であるグルタミン酸も、イノシン酸と同じく「VFD」という領域に結合すると推定されています。
グルタミン酸とイノシン酸は、同じ旨味受容体の同じ領域に結合するので、グルタミン酸が旨味を与えることと、イノシン酸が旨味を強めることとの間には、大きな関係がありそうです。
このとき、VFDという領域で、まず、イノシン酸が活躍します。そしてイノシン酸についているリン酸基が特に重要です。
これから説明します。
イノシン酸がVFDを閉じた状態にする
VFDは開いた状態と閉じた状態をとることができます。
VFDには、旨味を与えるグルタミン酸が結合するといわれているのですが、VFDが閉じている状態が結合しやすいのだとか。
そして、VFDを閉じた状態にするのがイノシン酸です。
本に出ていた図を真似して描きました。見てください。
「VFD」の口の先端側には、プラスの電荷がかかっています。そして、イノシン酸のリン酸基部分はマイナスの電荷がかかっています。
イノシン酸が「VFD」の口の間に入ると、これらのプラスとマイナスの電荷が引き合うことで、「VFD」の口がのり付けされると推定されているようなのです。
口を閉じたVFDにグルタミン酸が結合する
図には出てきませんが、イノシン酸が口を閉じた状態にして、そこにグルタミン酸が結合すると考えてください。
イノシン酸が、旨味受容体である「T1R1/T1R3受容体」の「VFD」という領域に結合すると、「VFD」は電荷的な相互作用によって「閉じた」状態になります。
グルタミン酸は「VFD」が「閉じた状態」だと結合しやすくなるので、「T1R1/T1R3受容体」に受容されやすくなり、その結果、旨味を感じやすくなります。
このようなメカニズムによって、イノシン酸はグルタミン酸による旨味を強めていると推定されています。
イノシン酸のリン酸基から水素イオンが2個外れることが必要
イノシン酸のリン酸基は、下図のように2個OHがあり、1個もしくは2個H+を離してO–になることができます。
しかし、上の図を見るとお分かりになると思いますが、VFDの口を閉じるには、リン酸基は2個ともH+を離してO–になることが必要です。
旨味が強い状態
確認しておきましょう。旨味が強い、出汁がよく出た状態とは?
さて、ここから先は、カツオ節で出汁をとりすぎるとなぜ旨味が減るのかという話題になります。
出汁をとりすぎて旨味が減った状態とは
私の場合、出汁をとりすぎたというのは、煮出す時間が長くなったという意味です。著者はもっと細かく考えていて具体的に書かれています。
pHの十分下がっている状態
入れたカツオ節の量が多かったり、煮出す時間が長かったり、出汁の水分が蒸発したりすることで、出汁のpHが十分下がっている状態のこととします。
pHは7.0が中性で、それより数字が小さいと酸性、大きいとアルカリ性といわれます。
pHの十分下がっている状態というのは、カツオ出汁のpHが、カツオ節のpHである数字まで下がっている状態だと考えられています。後で補足しますが、まず引用します。
カツオ出汁のpHは、入れたカツオ節のpHとほとんど一致するまで下がるのでした。
カツオ節のpHは5.6程度と見つもることができますので、カツオ出汁のpHは5.6程度まで下がると考えられます。
さらにここでは、それぞれのカツオ節のpHにはばらつきがあることや、出汁の水分が蒸発することで水素イオン濃度が上がることも考慮したいと思います。
そこで、出汁のpHが十分下がっている状態のときのpHは、おおまかに5.2-5.6程度と見つもります。
青いマーカーを引いた部分は、水素イオン濃度が上がると、酸性が強くなる、pHが小さくなることを意味しています。
しかし、ここで引用した部分は、「1.カツオ節で出汁をとると、なぜ酸っぱくなるのでしょうか?」で考察された結果を受けて書かれており、本を読まないとよく分からないと思います。
できるだけ分かっていただけるようにします。
出汁をとるとpHはカツオ節とほぼ同じになる
本の中には、pH5.6のカツオ節を1リットルの水に入れて出汁をとるとどのようにpHが変化するか、著者が作ったグラフが載せられています。
カツオ節の投入量は、0.0001gから100gまで書かれています。100℃の水で1-3分煮出して出汁をとることを想定されています。
pHは、1gですでにpH5.6付近であり、5.7まで行きません。10gになるとほぼpH5.6であり、10gを超え100gまでの間に完全にpH5.6のまま動かなくなります。
カツオ節をたくさん入れても、出汁がカツオ節のpHより下がることがないことが分かります。これは感覚的に当たり前だと思えます。
それよりも、カツオ節を少ない量(たとえば1g)投入しても、ほぼカツオ節と同じpHになる方が驚きでした。
出汁をとりすぎると、(感覚的には「濃く」なったように思いますが)pHはカツオ節のpHと同等になることが分かりましたが、その時にはどんなことが起きているのでしょう?
イノシン酸の水素リン酸基が2個ともH+を離してO-になっているのが少なくなる
出汁の中でイノシン酸は、下図のどちらかの形で存在しています。
リン酸基の2個のOHが、1個水素イオンを離しているか、2個とも水素イオンを離しているかのどちらかです。
出汁のpHが5.2-5.6のとき、図の上の方、OHが1個水素イオンを離してO–になっているものが、70%の存在率なのだそうです。もう一方は存在率が30%です。
もちろん、この割合はpHによって変わります。
pH6.0の時、それぞれ50%になります。それよりもpHが上がる(数字が大きくなり中性に近づいて行く)と、存在率は逆転します。
つまり、この形でないと効果的でないのです。
出汁への溶出量は乳酸が一番多い
ところで、少し化学の知識があると、リン酸基がH+を離してO–になっている方が、出汁の中に水素イオンがたくさんあることになるのだから、出汁のpHが5.2-5.6のときの方が、リン酸基が2個ともH+を離してO–になっている形のイノシン酸が多くてもおかしくないのになあと思われる方もいらっしゃるでしょう。
出汁の中にイノシン酸しかなければそのようになると思います。
しかし、出汁に溶出するものは、他にヒスチジン(アミノ酸)、乳酸もあり、乳酸の溶出量がダントツに多いです。
他の酸との関係でイノシン酸は、pHが低くなると、OHが1個水素イオンを離してO–になっているものの存在率が高くなると考えるのがよいと思います。
出汁の旨味はイノシン酸の形に影響を受ける
最後の結論です。100gのカツオ節から出汁に溶け出したグルタミン酸は、20-50mgに対し、同じく100gのカツオ節から出汁に溶け出したイノシン酸は100-1000mgだそうです。
イノシン酸の影響がとても大きい。
「旨味を強める」メカニズムを考慮すると、イノシン酸の化学的な形態はどのようでもいいというわけでなくて、「旨味を強める」のに効果的な形態があると考えられます。
そして、カツオ節で出汁をとりすぎて、出汁のpHが十分下がっている状態だと、イノシン酸は「旨味を強める」のに効果的な形態をとっていないと考えられます。
そういったわけで、カツオ節で出汁をとりすぎると、イノシン酸の「旨味を強める」効果が低くなっていることから、旨味が弱くなると考えられるのです。
カツオ節で出汁をとるときは、煮出しすぎないように時間は短めで。おいしく味噌汁をつくるコツも本には書かれていました。
是非、読んでみてください。
まとめ
カツオ出汁には思い出があります。
今から10年くらい前だったか、冬の寒い日の午後のことでした。お客さんに一茶庵系の蕎麦屋さんに連れて行ってもらって鴨南蛮を食べてから、カツオ出汁(だし)に目覚めてしまいました。
関西では蕎麦出汁に昆布も使いますが、関東ではカツオ節です。(さば節も少し入ります)
それから何年間か、毎月そのお客さんを訪問がてら、お店に通うことになりました。
その後、テレビ東京で放映している村上龍さんのカンブリア宮殿で「繁盛ラーメン店を作れ!製麺機メーカーの挑戦を追う」を見て、この会社のデジタル・クッキングという方法に興味をもち、数日、蕎麦学校に通いました。
その時に、材料を揃えてグラム単位で材料を測り、決められた手順と時間で出汁をとれば、自分のような素人でもお店で出せる出汁がつくれると分かりました。
あのおいしい、一茶庵の関東風の蕎麦出汁を自分でも作ることができ、一口味わった時、ちょっと感激しました。
なんとなく目分量で調理しては毎回味がぶれてしまいます。いつも一定の味にするには、正確に計測するのがよい方法だと学びました。
ひょっとするとその先に、人間の微妙な感覚を刺激する名人技があるのかもしれないですが、私には正確な計測がまず必要だと思いました。