スピルリナの歴史

16世紀のメキシコの首都テノチティトラン(Tenochtitlan)で食べられていた記録があり、その後、20世紀になり、アフリカのチャド湖で再発見され、未来の食料源として期待されました。

スピルリナ

スピルリナは英語です。綴りは Spirulina。

スピルリナはどこで見つかったか?

16世紀のメキシコの首都テノチティトラン(Tenochtitlan)で食べられていた記録があります。

16世紀のメキシコ

スピルリナの歴史を調べていくと、国連食糧農業機関(FAO)が出している A REVIEW ON CULTURE, PRODUCTION AND USE OF SPIRULINA AS FOOD FOR HUMANS AND FEEDS FOR DOMESTIC ANIMALS AND FISH というタイトルの文献が見つかりました。2008年の文書です。

この中の、 HISTORICAL BACKGROUND ON THE USE OF SPIRULINA AS HUMAN FOOD AND ANIMAL FEED に発見の歴史が書かれていました。

16世紀、スペインの侵略者がメキシコを征服したとき、彼らは首都Tenochtitlan(テノチティトラン)のメキシコの谷に住むアステカ人が湖から「新しい食物」を収集していることを発見しました。

スペインの年代記編者は、細かい網を持った漁師がこの青い色の「techuitlatl」をラグーンから集め、それから青緑色のケーキを作ったと説明しました。

首都テノチティトラン(Tenochtitlan)

テノチティトランとは、一体どんなところなんだろう?調べてみました。何と、湖の中の島にあり、人口が30万人くらいあった都市だったそうです。

地図がありました。パブリックドメインだったので貼らせていただいて元画像のアドレスを書いておきます。この地図を見るとなんだかワクワクします。

現在のメキシコシティのこと

ウイキペディアのテノチティトランにはこのように書かれています。

テノチティトラン(Tenochtitlan)は、かつてのアステカの首都。最盛期には人口は約30万人であったと伝えられる。テスココ湖の島上に建設された。現在のメキシコシティに相当する。(中略)

16世紀初頭、スペイン人のコンキスタドール、エルナン・コルテスによってアステカが征服されたのち、1520年代に破壊された。

コルテスは、植民地「ヌエバ・エスパニョーラ」の首都、現在のメキシコシティを、テノチティトランの廃墟の上に立て、その別名メシコをもって新しい都市の名とした。現在テスココ湖はほとんど埋め立てによって消失している。

テスココ湖もグーグルマップで調べましたが、もう完全に埋め立てられていました。

Google マップ

アステカとはいつからあったか

ウイキペディアによると、15世紀から16世紀にかけてあった国家と書かれていました。

アステカは、1428年頃から1521年までの約95年間北米のメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家。

スピルリナがいつから食べられていたのか正確なところは分かりませんが、15~16世紀には食べられていたのは間違いないでしょう。

techuitlatlの意味は?

この地では、後にスピルリナと呼ばれる藻がtechuitlatlと呼ばれていました。これは、「石の排泄物」を意味することばだったようです。(出典

さて、ここから先、時間と場所が連続していませんが、アフリカに飛びます。

アフリカチャド湖のdihéを再発見

話は20世紀のアフリカにあるチャド湖に飛びます。チャド湖は、チャド、ニジェール、ナイジェリア、カメルーンの4ヶ国にまたがるアフリカ大陸中央部の湖です。

Google マップ

1940年、フランスの藻類学者Dangeardがチャド湖近くのカネンブ族によるディヘ( dihé )ヘの消費に関する報告を発表しました。(中略)

25年後の1964年から65年の間に、ベルギーのサハラ横断探検隊の植物学者 Jean Léonard(ジャン・レオナール)は、チャドのフォルトラミー(現在のンジャメナ)の先住民の市場で売られている奇妙な緑色をした食用ケーキを発見したことを報告した。

地元の人々がこれらのケーキはチャド湖の近くの地域から来たと言ったとき、レオナールは藻のブルームと市場で売られている乾燥したケーキの関係を認識しました。

1967年にスピルリナは、応用微生物学の国際協会で “素晴らしい未来の食糧源 “として確立されました。

ディヘ( dihé )がスピルリナのことです。

ンジャメナは、チャドの首都でした。

Google マップ

チャド湖でどのようにスピルリナが生産?されているか画像を一枚見てください。これを見ると、あとの説明がわかりやすくなります。

http://www.fao.org/news/story/pt/item/44388/icode/

まるで濃い緑色の泥を乾かしているように見えます。

チャド湖の湖畔に住むカネンブ族の人々は、湿った藻類を粘土の鉢に集め、布袋で水を切り、湖の砂地に藻類を広げて天日干しをします。

半乾燥した藻類は小さな四角い形にカットされて村に運ばれ、そこでマットの上で天日干しされる。

乾燥した後、女性たちはこれらの藻類のケーキを地元の市場で売るために持っていく。

ディヘは砕いてトマトと唐辛子のソースと混ぜ、アワ、豆、魚、肉などにかけて食べるもので、カネンブ族では食事の70%となっている。(中略)

Abdulqader、BarsantiとTrediciはさらに、チャドのKossorom湖(約40トン)で毎年収穫されたディヘの地元の取引値は、米国$ 100,000以上に達し、地域の経済への重要な貢献していることを指摘した。

スピルリナという名称

ウイキペディアのスピルリナにはこのように書かれています。

スピルリナという名前は、ラテン語の“ねじれた”“らせん形の”を意味する “Spira”(英語ではSpiral)に由来する。

しかし、どうもいま流通しているスピルリナはスピルリナ属ではないようです。FAOの文書では、3.1.2 Taxonomy(分類)に簡単に説明されていました。

1827年にスピルリナが採取されて、1844年にそれがSpirulina jenneri f. platensisと名付けられました。

1852年にこの新属はArthrospira(アルトロスピラ)属と分類されました。この後Spirulina属とArthrospira属は区別されていたのですが、1932年に共通するらせん構造をもとにSpirulina属に統一されました。

しかし、1989年、再びSpirulina と Arthrospiraに分けられ現在に至るようです。

スピルリナでもっとも重要なのは、Arthrospira maxima と A. platensisの2種類です。

NOTE

ずっと食品について調べながら書いてきましたが、本当の意味で余剰を生み出すのは太陽だけなんだなと感じています。農業が重視されるようになるでしょう。しかし、農業でたんぱく質を作ることができるのは大豆など限られた作物だけです。

脂質や炭水化物は、どんなに穫れても基本エネルギー源にしかなりません。畜産や養殖が大量に餌が必要になることを考えると、短時間で増やせて短時間で収穫できる藻がこれから必要になります。スピルリナは乾燥重量の60%程度がたんぱく質です。

今はまだ健康食品として扱われていますが、スピルリナが毎日食べるおいしいたんぱく源になるといいなと思っています。

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