ヨガが好きな方はもともと不思議なことも好きなのでは?と思います。ヨガを始めて不思議なことを求めるようになると、間違った方向に行ってしまうかもしれないので気をつけてください。
ヨガが好きな方は、よほど体育会系の方でなければ、不思議なことや神秘的なことが好きな方が多いのではないかなと思います。
私も神秘的なことは嫌いではありません、というか、正直、かなり好きです。しかし、ヨガをしながら、普通の人にはない能力を得たいなんて、「たわけた」ことは思わないようにしています。
私は山が好きで、若い頃は山小屋でアルバイトしていました。どっぷり浸りたいタイプなので、有名な北アルプスの山小屋でアルバイトした後は、一人で八ヶ岳の小屋を春から秋まで管理していたこともあります。
また、実家が一時、数年間でしたが、四国八十八ヶ所の19番札所、立江寺のそばにあったので、学生時代、テントを担いで歩いてお遍路さんを歩きで一周まわったことがあります。お寺さんに頼んでテントを張らせてもらえるのは、たいてい火事の心配がない墓地です。
どちらも、どんなことがあるんだろうと興味津々でした。もちろん、それなりに変わった経験をしました。特に、山小屋を一人で管理するのは、夜になると四方八方誰もいませんから、泊まる人がいない夜は「おばけ」が出るのではないかと、毎日、無意識に思っていました。
幸い(?)おばけのお姿を見ることはなかったのですが、変わったことは時々ありました。山の怪談として十分語れるような内容です。(笑)しかし、そんな時は、こわい感じはしません。ただ、世の中には不思議なことがあるものなのだと妙に納得したものでした。
また、私は、抹香臭いのが好きなので、神社やお寺に行くのが好きです。毎週、どこかの寺社に行っています。
以前、仕事の関係で、変わった能力をもった方と知り合う機会が結構ありました。もともと私自身が不思議なことに興味があり、好きなので、すごく面白かったのですが・・・。途中から自分の中で反発する気持ちが出て来て、知り合っても気をつけて深くつき合わないようになりました。
何が反発する原因なのかというと「支配 – 被支配」の関係に陥りやすいからです。
たとえば、「あんたにはおかしなものが憑いていたので、祓っておいたよ」といわれると、その時は「ああ、そうですか。ありがとうございます」と素直に感謝します。
しかし、こんなやりとりを何回も繰り返していると、こちらは、いわれたまま信じるしかないので「支配 – 被支配」の関係になりやすいです。ついでに、こちらにもスケベ心が出て来て、依存する気持ちを持つようになるかもしれません。
これが、たとえば、「包丁を研ぐこと」なら、見た目で技術の違いがはっきりわかるので何も問題がありません。「研ぎの師匠」としてつき合っていただきたいです。
しかし、不思議なことに関しては、注意が必要だと思います。
若い時は分かりにくいのですが、世の中には楽して自分の欲望を満たしたいと思っている人がわりといます。こういう人は、普通の人が分かりにくいことを商売にしています。
もちろん、不思議な能力をもっている人の中には、人間的によい方もいらっしゃいます。しかし、私が知り合った人の中には、詐欺師のような人もいました。
自分におかしな欲望がなければ、そのような人の人相風体から「違和感」を感じられます。ヨガの達人にならなくても、人の感受性はなかなか鋭いですよ。
しかし、神秘的なことを求める気持ちが強いと、ついつい、そっちの方が価値があるんじゃないかと思ってしまいます。注意しないと時間やお金をムダにします。
働いている人は、同僚や取引する相手をよく観察していると思います。学生さんも友人を選ぶ時によく観察していると思います。その時の感覚は、(試行錯誤の連続ですが)きっと正しいです。
不思議な能力をもった人と知り合っても同じ感覚でいるのがよいと思います。
ヨガを始めて、(ひょっとするともともと好きな)神秘的なものを指向すると間違った方へ行ってしまうかもしれませんので、気をつけてくださいね。
私はヨガを毎日やっていますが、体の柔軟性、健康維持、長い呼吸ができるようになることと、自分を細かく観察することが上手になりたいと思っています。