ビタミンCの発見を順番に調べてみた

ビタミンCは、柑橘類に多く含まれているように思います。しかし、ビタミンCの結晶が最初に発見されたのは雌牛の副腎皮質からでした。実はビタミンCが合成できない動物は少数派なのです。果物と副腎皮質のビタミンCがどうやって結びついたのか?

ビタミンC

ビタミンCが補給できないと壊血病になる

壊血病は、現代ではまず見ることはできないと思います。大航海時代、1497年、ポルトガルの探検家、バスコ・ダ・ガマの航海では、アフリカの南端を回ったとき、乗組員160人のうち、100人がすでに壊血病で死んでいたと記録が残っています。

壊血病は、長期間ビタミンCが欠乏すると脱力や体重減少、鈍痛に加え、ウイキペディアによると次のような症状が出る病気です。

  • 皮膚や粘膜、歯肉の出血およびそれに伴う歯の脱落、変化
  • 創傷治癒の遅れ
  • 低色素性の貧血
  • 感染への抵抗力の減少
  • 古傷が開く

そのままビタミンCが補給できないと、死んでしまいます。しかし、ビタミンCが補給できるとすぐに回復するのが特徴です。

ビタミンCの結晶は雌牛の副腎皮質から発見された

われわれにとって不可欠なビタミンCを発見したのは、アルバート・セント・ジェルジです。

アルバート・セント・ジェルジはビタミンCに関する研究で1937年にノーベル医学賞を受賞しました。しかし、純粋なビタミンCの結晶は、レモンなどの果物や野菜ではなく、なんと雌牛の副腎皮質から分離されたのが最初だというのです。

スパイス、爆薬、医薬品 – 世界史を変えた17の化学物質というとても面白い本にはこのように書かれていました。

一九二八年、イギリスのケンブリッジ大学にいたハンガリーの医師で生化学者のアルベルト・セント=ジェルジは、雌牛の副腎皮質にある油っぽい部分一キログラムからわずか三百ミリグラムの結晶物質を得た。

副腎は腎臓のそばにある一対の内分泌器官である。重量比で原料の〇.〇三%しか得られないこの化合物は、最初ビタミンCとは思われなかった。セント=ジェルジは、糖に似た新しいホルモンを発見したと考え、・・・(中略)

セント=ジェルジのサンプルは、正確な化学分析をするのに十分純粋で、分子式C6H8O6、すなわち炭素が六個であることが分かっていた。ここからヘキスロン酸のhexが来ている。

四年後、ヘキスロン酸とビタミンCは同じものであることがわかる。

アスコルビン酸を理解するに当たって次のステップは、化学構造を決めることである。これは、今日の技術をもってすれば、サンプルが非常に少量でも比較的簡単に出来る仕事だが、一九三〇年代では、大量のサンプルが無いとほとんど不可能なことであった。

セント=ジェルジはまたしても幸運だった。彼は故郷ハンガリーの名産パプリカがビタミンCを特に多く含み、そしてもっと重要なことに、他の糖類をあまり含まぬことを発見した。糖類は柑橘類からのビタミンCの単離を困難にしていたものである。

彼はわずか一週間でビタミンCの結晶を一キログラム以上得た。共同研究者のバーミンガム大学化学科教授、ノーマン・ハワースが構造決定を始めるのに十分な量だった。

共同研究者のノーマン・ハワースもノーベル化学賞を受賞しています。

この本には、雌牛の副腎皮質から得られた結晶、ヘキスロン酸について「四年後、ヘキスロン酸とビタミンCは同じものであることがわかる」とだけ書かれていましたが、その時にどんなことがあったのかとても知りたいところです。

ビタミンCがその当時、既知のものであれば、アルバート・セント・ジェルジがノーベル医学賞を受賞することはなかったでしょう。

彼が新しいホルモンを発見したと思っていたのに、それが結局ビタミンCの結晶だったとわかるなんて、他の人たちも熱心にビタミンCを探していなければ起こり得ない話です。そこにはどんなドラマがあったのでしょう?

それで本を探しに行きました。

ビタミンC発見までの道のり

幸いなことに1日かからずに、栄養学を拓いた巨人たちが見つかりました。この本は手元に置くべき本ですね。特に栄養について勉強している人は、発見の歴史を知った方がよいと思います。すごく面白い本です。

栄養学を拓いた巨人たち
栄養学を拓いた巨人たちを読むと、ビタミン研究は、今では考えられないことに、死に至る病だった欠乏症を解決するために進んだことがわかります。

壊血病にかからないためには果物や野菜を食べればよいのですが、壊血病を起こさない原因物質である、抗壊血病因子を発見する研究はノルウエーのオスロから始まりました。

モルモットによる実験

この抗壊血病因子を発見する研究は、まずオスロにあるクリスティアナ大学のアクセル・ホルストによって始められた。(中略)

モルモットを使うことにした。この選択は幸運であった。なぜならネズミは体内で抗壊血病因子(ビタミンC)を合成できるので、壊血病にはかからないことがのちにわかるからである。

モルモットは小麦のパンだけを与えて飼育すると、首尾よく壊血病の症状を起こし、死亡した。だがレモン、リンゴなどを与えると、ほぼ回復した。(中略)

壊血病の研究にはモルモットが適していることを示したのは、彼の功績である。

アクセル・ホルスト氏についてネットで調べましたが、残念ながら記事も本もヒットしませんでした。日本語で読める本はないようです。彼がいつ頃この研究を行っていたのかわかれば年代を書き足します。

先日、別な記事を書いていて、ビタミンCを合成できない動物は、われわれヒトも含めて少数派だと知りました。ビタミンCを合成できない動物は少ないのです。

ビタミンCの製造方法を調べてみた
この記事では、ビタミンC(アスコルビン酸)の製造方法を調べてみました。ビタミンCを製造するには、微生物による発酵と人工的な化学反応を組み合わせると書かれていたので、製造はむずかしいのかなと思いましたが、それはコストを下げるためでしょう。 つ

モルモットもその中の一つなのです。

ビタミンCと命名

1918年、エール大学のメンデルらは、マッカラムが命名していた脂溶性A因子(ビタミンA)と水溶性B因子(ビタミンB1またはサイアミン)をモルモットに与えても、壊血病が起こることを示した。

この実験結果をもとに英国のドラモンドは、これらとは別に抗壊血病因子となる物質が存在すると考え、これを「水溶性C因子」と呼ぶことを提唱した。(中略)

ドラモンドはさらに、フンクがすでに提唱していた「ビタミン」という呼称を用いて、これまでのA因子、B因子、C因子という呼び方に代えてビタミンA、ビタミンB、ビタミンCと呼ぶことを提唱し、これが広く受け入れられた。

この時点で、未知のままであった抗壊血病因子(または水溶性C因子)に、ビタミンCの名が与えられたのである。(中略)

ロンドンのリスター研究所では、ポーランド出身のツェルバがモルモットを使ってレモンジュース中のビタミンCの単離に挑戦した。(中略)

一方、米国ピッツバーグ大学のチャールス・キングも、レモンジュースからビタミンCを単離する研究に取り組んでいた。(中略)キングはビタミンCがブドウ糖ほどの低分子化合物であることをつきとめた。

このほかにも、世界各地でビタミンC発見競争が展開されていた。

この時代、ビタミンCと呼ぶことが決められ、そして多くの人が、純粋なビタミンCを取り出すことに熱を入れているのがわかります。

そしてセント・ジェルジが登場します。

セント・ジェルジのビタミンC発見

ここでセント・ジェルジは、レモンジュース中には強い酸化作用を持つ過酸化酵素があることに注目した。

過酸化酵素の存在は、ベンジジン反応という化学反応で調べられる。ベンジジンは無色の物質だが、酸化されると濃青色になる。

ところが彼は、ベンジジン溶液をレモンジュースに滴下すると、濃青色になるまでに時間的な遅れがあることに気づいた。

そこで彼は、レモンジュース中には酸化を遅らせる物質、つまり還元物質が存在するのではないかと考えた。ここから、彼の考えは飛躍した。それはまさに、天才に特有の発想の飛躍であった。

顔色が青色を呈する、アジソン病という病気がある。その原因は、副腎の機能が衰えることにある。すると、正常な副腎には、レモンジュース中に含まれる酸化を遅らせる物質のような、顔色を白くする還元物質が含まれているのではないか。

そうひらめいた彼は、ウシの副腎のしぼり汁にベンジジンを滴下してみた。予想通り、青色の発色は著しく遅れて起こった。

彼は副腎からこの還元物質を純粋に近い形で取り出すことに成功し、1926年、これまでの結果を論文として発表した。

レモンの中に入っているビタミンCの発見が、なぜウシの副腎皮質からなのだろうと思っていたのですが、このような個人のちょっとした思いつきが元なのでしょうか。

アジソン病から正常な副腎には酸化を遅らせる還元物質が含まれると考えるとは、すごい飛躍ですね。

この本にも、セント・ジェルジは当時ビタミンに関心がなかったと書かれているので、ビタミンCを発見したくて探していたわけではなく、還元物質を発見したと思っていただけみたいです。

さて、この話を補足できる話が、ポーリング博士のビタミンC健康法(平凡社ライブラリー)にこう書かれていました。以下、引用する話も、セント・ジェルジのことです。

ポーリング博士のビタミンC健康法
ポーリング博士のビタミンC健康法は、お気楽なタイトルとは反対に大真面目に読まないとなかなか理解できない内容の深い本でした。古本屋でもあまり見かけないので図書館で探すとよいでしょう。

オランダで研究していた一九二二年、リンゴやバナナなどの果実が腐るときに褐色の色素性物質が生成されるが、この原因となる酸化反応の研究を始めた。

この研究中に、キャベツに還元性物質(酸素と結合できる)が含まれていること、動物の副腎にもそれと同じか、よく似た還元性物質があることを見つけた。

生理的酸化還元反応に関心をもっていたので、この還元性物質を植物組織や副腎から分離しようとした。

一九二七年にロックフェラー財団から研究奨励金を得て、英国ケンブリッジのF・ゴーランド・ホプキンズ研究所で、一年間研究することができた。

そこで、植物組織と動物の副腎から、この還元性物質を分離することに成功した。

セント・ジェルジは、生理的酸化還元反応に関心をもっていたので、植物/動物の区別が関係なかったのでしょう。もし、壊血病を防ぐ原因物質を探すことからスタートしていたら、当然、レモンにこだわっていたと思います。

その後、紆余曲折があり、1930年、彼はハンガリーに新設されたセドゲ大学の医化学教授になりました。再び、栄養学を拓いた巨人たちからです。

着任早々、米国のキングの下でビタミンC単離の研究に参加していた、スワーベリーというハンガリー人の若者の訪問を受けた。セント・ジェルジは彼に、ヘキスウロン酸に壊血病の予防・治療効果があるかどうか調べるよう依頼した。

つまり、彼が結晶化した物質がビタミンCかどうかを調べようとしたのである。はたして、ヘキスウロン酸を一日に1mg、動物に与えれば、壊血病を予防できることが確かめられた。

抗壊血病因子、ビタミンCは、ヘキスロン酸そのものだったのである。セント・ジェルジとスワーベリーは1932年、連名で「抗壊血病因子としてのヘキスウロン酸」と題した論文を「ネイチャー」誌に発表した。

ビタミンC単離の研究に参加していたスワベリーが、ビタミンCと関係があるのではないかという話をしたのでしょう。それで壊血病に対して効果があるかどうか調べられたのです。

もう少しどんなやりとりがあったのか知りたいところです・・・。

しかし、これでヘキスウロン酸(スパイス、爆薬、医薬品 – 世界史を変えた17の化学物質では、ヘキスロン酸と記されていました)がビタミンCだと判明し、数年後のノーベル医学賞受賞につながるのです。

まとめ

ビタミンCを初めて結晶化させたのは、雌牛の副腎からです。副腎は腎臓のそばにありますが、腎臓ばかりでなく副腎にもビタミンCの貯蔵量は多いようです。

普段、ビタミンCは果物や野菜に含まれていると思っているのに、突然、ビタミンCは雌牛の副腎皮質から初めて単離されたなんて聞くと、まったく理解できません。

しかし、順番に知っていくとなるほどなと思えるようになりますね。こういうのが歴史の面白さです。

ビタミンCについての他の記事は、ビタミンCの記事についてをご覧下さい。

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